無意識日記々

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メロディーも浮き沈み

まだ付け加えとく事があった。不格好だけど触れておく。

どんぶらこっこのパートで、『世の中 浮き沈みが激しいなあ』という一節があるが、ここのメロディーは楽曲中ここでしか現れない。その為、恐らく、歌詞に合わせてメロディーを作ったと思われる。というのも、『浮き沈みが』の所で音程が大きく上がったり下がったりするからだ。これはつまり、音程の上下で「浮いたり沈んだり」を動的に表現しているのではないかな。

実際、このパートに於いては
『どんぶらこっこ 世の中』
までと
『どんな時でも 価値が』
までは同じメロディーで、そこから先が合い違われているのだから、この推測もむべなるかなと思うのだがどうだろう。

こういう歌詞の配り方は別にヒカルに限らず他のアーティストもやっているだろうし、ヒカル自身も常にそうしているかといえばそんな事もないだろう。

例えば、Show Me Love (Not A Dream)のAメロの最後、最初の2回は音程的には下降フレーズだが歌詞もそれに合わせて『沈んでく』『重くなる』となっている。そして3回目のAメロでは下降フレーズではなく上がって高止まりする曲線を描きながら『止まらない』と力強く歌い上げる。此処は、歌詞のイメージと音程の上下をシンクロさせた例である。

一方、同じ曲の中でも例えば『山は登ったら降りるものよ』のメロディーは別に歌詞に合わせて上がったり下がったりはしない。これらの違いは、沈んだり重くなったりは、比喩とはいえ実際に主人公の心情に起こった変化の表現であるのに対して、この『山は〜』のパートは教訓として言い聞かせているだけで何も実際に上って降りた所を表現している訳ではない為に生じるものだ。そういうメロディーの使い分けも存在するのである。ただ、繰り返すが常にこういった対応が隠れているという事もない為、あんまり深読みはしない方がいいだろうとは付言しておきたい。お前が言うなってか。