無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

おきるおとな、ねむるこども

折角話題に出したので、Keep Tryin'とBeautiful Worldの対比についても触れておこう。

キプトラの方は、
『ちょっと遅刻した朝もここから頑張ろうよ』
『毎朝弱気めな素顔映す鏡退治したいよ』
と歌っているように、朝に起きる歌である。ULTRA BLUEの前半は夜から朝昼への流れの曲で構成されている。例えばMaking Loveも『長い長い夢の途中』から最後『もう起きなきゃ』で終わっている。キプトラも例に漏れず、夜に仕事から帰ってきて朝起きる物語だ。

一方、Beautiful Worldは
『もしも願い一つだけ叶うなら
 君の側で眠らせて』
というように、これから眠る、眠りたいと願う曲である。或いは、その願いは最早叶わないものなのかもしれないが。

同じように"少年(boy)"に向けての視線で歌われてはいるが、自らを奮い立たせて朝起きようとするキプトラと、その少年の側で眠りたいと言う美世界。この対比の含意とは、恐らくヒカルの歌詞世界の中で、"少年時代"というものが『夢』と分かち難く結び付いている点なのではなかろうか。

大人になれないこどもを歌ったBe My Lastでは『夢見てたのはどこまで』と歌い、それが現実との食い違いを生んだ様を描いている。ヒカルの歌詞には『眠る』『起きる』といった歌詞が『夢』と共に頻出するが、少年時代を眠って夢を見ているようなもの、という風に解釈するならば、自分の弱さを認めて自立せんと力強く一歩踏み出すShow Me Loveに(Not A Dream) と付け加えた心理も見えてくる。夢の否定(或いは昇華)とは、"大人になる事"そのものだからだ。

夢と眠りと少年、というキーワードで読み解くならば、今挙げた以外にも幾つか思い当たるな。次はそこらへんの話になるかもしれません。