無意識日記々

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そろそろソロからゾロゾロへ…?

BLUE NILEのポール・ブキャナンが今月ソロ・アルバムを発表するらしい。新曲を聴いてみたが別にBLUE NILE名義でもいいじゃんという曲調だった。バンドの中心人物のソロ作というのは大抵そうなるもので、外から見ていたら「だったらバンドでやればいいじゃない」と思うものでもソロ活動にこだわる。たとえ普段から自分で他のメンバーに指示を出したりしていても、やっぱり人が違うと違うらしい。当たり前といえば当たり前だが、それが「2つのソロバンドを掛け持ちする」のではなく「バンド活動とソロ活動」になる所が興味深い。単に契約上の理由かもしれないけれどね。

日本でいえば桑田佳祐サザンオールスターズの関係が思い出されるだろうか。いやでも案外はっきり別れてるかな。「白い恋人達ってサザンの曲と勘違いされるよね」とか書こうかと思ったが自分を含め勘違いした例に巡り会った事がないな。気のせいか。やっぱりソロとグループって違うのかね。

今のは普段バンドやってる人がソロ活動をするケースだが、逆に普段ソロをやってる人のバンド活動の場合はソロとの明確な違いを打ち出すケースが多いか。東京事変なんて完全に別物だもんね…って書こうとしたけど時々混同する、かな? いやまぁでもバンド→ソロよりもソロ→バンドの方が音楽性の違いがわかりやすい傾向にあるのはそれなりに確かだと思う。

なので、光がバンド、或いはユニットでもグループでも呼び方はなんでもいいけれどある程度継続的なプロジェクトを立ち上げた場合は、自身の今までのソロ活動との違いを出そうとするのは間違いない、というかそうでなければやる意味がない。

いや逆に「全然変わらないじゃん」という結果になっても面白いか。勿論相手によるんだが光の個性が強すぎてそんなに違いがアピールできないかも、という事は有り得る。This Is The Oneを聴くとなんとなくそんな予感もしなくはない。コラボレーションをするとして、どんな役割分担を行うかによって結果は変わってくるだろう。ただ、あの声が真ん中に鳴り響いている限り、結局宇多田ヒカル名義にせざるを得ない、なんて事になるかもしれない。元々今までの楽曲のバリエーションが幅広かったので、ちょっとやそっと新しめの曲調を導入しても「宇多田の新曲」として扱われるだろうな。という事で、やっぱりバンド活動の可能性は低そう、かな。椎名林檎くらいうまくやれるパターンが、いつか考えつければいいんだけど。