無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

時代、世代、世紀

光も来年30歳だが、英語では30年の事をGenerationと呼ぶ(10年はDecade、100年はCenturyだ)。"ジェネレーション・ギャップ"なんて言葉もあるように、この単語には"世代"という意もあるから、英語圏では"30年1世代"という感覚でもあるのだろうか。

物事の流行は大体10年位で考えられる事が多い。70年代風、とか80'sとかいう。10年1時代、30年1世代、100年1世紀といった所か。10年で移り変わるのが流行等の表面的な事ならば、30年で入れ替わるのはその世代の"常識"だろうか。光はそろそろ常識にギャップのある世代のファンを受け入れ始めなければならない。

次の世代は当然ヒカルが一世を風靡した事など知らない。そこでフラットに音から入って聴いて貰うか、大人の「宇多田は凄かった」という呪詛に導かれて入ってくるかで大分違いそうだ。前の世代に対して反発心を抱くか尊敬の念を抱くか。どちらになるだろう。いや、そういう選択肢の並べ方自体が、彼らの常識に合わないかもしれない。世代間では、そういった前提となる常識から疑ってみないといけない。

といっても、それに惑っていても仕方がない。ヒカルが次の世代にも愛されるようになる方法論を、今のこちらの常識で考えてみる事にしよう。

…大丈夫なんじゃないかな。

いや、本当に。いい歌は世代も時代も超えるというけれど、大概それはその時代や世代の人間の願望に過ぎない。というか、彼らが声を出し続けていれば何だかんだで触れる機会は与えられる。なので、次の世代の耳には入るだろう。

確かに、私なんかは親世代の聴いていた音楽はそれなりに知っている。60年代のザ・ビートルズグループサウンズ、70年代のフォークやニュー・ミュージックなど大御所はそれなりに耳に入っている。多分、ヒカルの曲も同じようにスタンダードとして次の世代の耳に入るだろう…

…という風な、"常識的な"思考で次の世代を捉えられるかといえばわからない―というループに入ってしまうのがこの問題の厄介な所なんだが、先述のようにそれは言っても始まらない。以外無限ループ。

まぁ、一世代を越えたらスタンダード、二世代を越えたらクラシックスと呼んでいいんじゃないだろうか。50年代〜60年代にかけて盛んになったロックミュージックは90年代〜00年代にかけて"ロック・クラシックス"というジャンルが定番化した。大体30〜50年位経過すれば、そう呼びたくなってくるのだろう。ヒカルの曲がクラシックスと呼ばれるかどうかは、実際にそうなってみるまでわからないが、ひとまず今の我々はこれが未来のクラシックスだと確信して音楽に触れ合っておけばいいんじゃないかな。