無意識日記々

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価値あるマーケットでの勝ち負け

他のコンテンツに較べ、日本の音楽CDは非常に高価である。今や映画のDVDの方が安い位で、制作に関わる人数や日数を考えると割高感は否めない。映画の場合はまず映画館で上映して興行収入を得て次にソフト化、という流れが主流だが、音楽の場合はまずソフトをリリースしてから次にそれを会場で聴いて貰うのが一般的であり、映画とは順序が逆である。基本的に一度観たら終わりの物語系のコンテンツとは違い、馴染んでいくうちに価値が増していくのが音楽の方だったりするから、繰り返し楽しめるマテリアルを先にリリースするのは自然なのだが、これによって制作費はCDの売上でしっかり賄わなければならなかった。そして興行は興行でまた別に、という仕切り方だ。よく言われてきたように全米ではツアーがマテリアルの売上を促進してきたのだが、日本ではそうはなってこなかったのである。配信が盛んになりCDの値段も$10を切るようになった米国とは違い、日本でCDが高額のまま高止まりしているのはこういった構造も影響しているのか
もしれない。

という訳で「LIVEで稼ごう」は今や合い言葉のように多用されるようになったが、CDの値段は今のままでよいのだろうか。盤を制作して流通させるのにそんなにコストはかからない。少なくともDVDより高くなる道理はない。問題は収益率で、値段を1/3にしたからって3倍売れるかというとわからないのである。

ここらへんは心理的駆け引きだ。今は割高感が先行している為音楽の消費は伸びないが、ある程度値段が下がれば全体としての音楽消費量があがるかもしれない。月に3000円しか使ってなかった人たちが5000円使うようになるかもしれないのだ。値段が半額になったら2倍買うだろう、という期待に対して、3倍買うようになる可能性も、今までと変わらない可能性もある。どちらになるかはわからない。実は今の値段がベストかもしれない。

こういった「価格の思考実験」は難しい。市場というもの自体がAutomaticに価格調整をするシステムなので元来「やってみないとわからない」ものなのだ。

だったら宇多田ヒカルがそういうのにチャレンジするのはどうだろう、となるとEMIとしては厳しいだろうな。確実に収益を見込めるアーティストには確実に収益を上げて欲しい、というのがレコード会社の願いだろう。わざわざギャンブルに打って出て会社を傾けさせる訳にはいかない。

でも、ヒカル自身はどう考えているのかな…という話からまた次回。