無意識日記々

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友達母娘

Tokyo MXで「魔法少女まどか☆マギカ」の再放送をやっていて、来週最終回なのだがこの作品、"第3話の衝撃"が語られる事が多いもののやはりそれは序の口に過ぎず、後半5回、或いは3回の密度の濃さが真骨頂であろう。昨夜見ていて、ふと初めてガンダム(ファースト)を観た時を思い出した。あの眼前に広がる"リアリティ"、そこに世界があるような感覚、まどマギが10年に1作のクオリティを備えている事に異論はないが、ひょっとするとガンダム並に語り継がれる作品になるかもしれない。長さは3分の1もないのにねぇ。

で、気が付いたんだが主人公の鹿目まどかの母親の名前が「じゅんこ」なんだな。字がわからない、というか変換がなさそうなんだが、まぁ「母の名がじゅんこ」というだけで引っかかりとしては十分だろう。圭子さんの本名もじゅんこである。

まどかのお母さんは彼女のよき友人として、相談相手として、先輩として振る舞い続けた。出番はそう多くはないものの、なかなかに印象に残る脇役だ。鹿目家は終始幸せな家庭として描かれるが、この母娘の関係は理想的であり、こういう家庭環境で育ったからまどかはああいう行動、言動をとるんだなという説得力のひとつとなっていた。

光とお母さんの間に、果たして鹿目家のような、まるで友達同士のような会話はあったのだろうか。光の終始感じている孤独感は、母親が家に度々居なかった為というよりも、もしかしたら一緒に居ても遠くに居るような、そういう2人の関係性にあったのではないか。そういえば光は、彼女の美しさを讃えたりファンである事を公言したり、或いはメディアに対して彼女を護ろうとしたり、そういった事はあっても、"母と一緒に居ると安心する"というオーソドックスなフィーリングについて余り語った事がないような気がする。全くなかった訳ではないだろうが、どちらかといえば全体の感情の発露の傾向は"恋慕"に近い。母と娘の関係なんて十人十色百花繚乱千差万別であって、これが正しいなんてものは考えなくていいのだが、少なくともこの2人は鹿目家のような友達母娘という感じではなかったように見受けられる。それが光の世界に対する態度を決めたように考えるのは踏み込み過ぎだろうか。まどマギを観ながら母と娘の関係性が与える人生の捉え方、関
わり合い方について、少し切ない発想をしてしまった木曜日の夜だった。来週も感動するぞー。