無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

色は光のスペクトル

あぁ、何故ヒカルが編曲上あまりベースを重視しない、というかシンプルに纏めてくるかについての理由、もうひとつの方をまだ書いていなかったな。ひとつ、書いてみるか。

といってもこれは仮説というか仮想だし、本人がそう考えていると想定している訳でもなく結果的にそうなっているのではないか、といった程度の議論なのでそこらへんを踏まえつつ。

ヒカルの声質とベースの音域がバッティングするからではないか。以上。

音程、というのは不思議なもので、大抵の音はひとつの高さの音で成り立っている訳ではなく、寧ろ音色というものは様々な音程の音が混ざり合う、その混ざり合い方によってまさに決まる。音程のスペクトル(分布)の形状全体を指して音色と称するのだ。その中でも特に支配的な高さの音、まぁつまりいちばん強く大きく出ている音の高さを人は特定の音程だと認識する。なんだかまぁ複雑だ。

人の声の音色は声色である。ヒカルの声色をスペクトル分析したことはないが(お前がせんで誰がするんやっちゅー話なんですがねぇ…)、多分低音側の分布が強い声色なんだと思うのだ。その昔ヒカルの声を指して「まるでチェロのような響きだ」と称した事があるが、その含意はまさに低音の豊かさを指摘したものだった。

ベースラインを楽曲の中で動かし過ぎる、ヒカルの歌声とベースのメロディーがバッティングして音像が濁りやすくなる、とでも言いますか。まだルート音を単発に出している程度なら影響はないが、オブリガードが上方までやってくるようであればいよいよ差し障りが出てくる。特にベースという楽器はヴォーカルものではほぼほぼ必ず中央の位置にミックスされる為如何に(同じく中央に配された)メイン・ヴォーカルを邪魔しないかはひとつのテーマである。

ヒカルの声色は低音側にスペクトルが広がっている為、明るい曲を歌っていてもどこか陰があるというか、ほんのりダークな風味が加味される。これは当人も自覚しているらしくインタビューでそう答えていたが、それは母もそうだったから、とも答えている(ハズだ)。母親譲りの陰のある歌声。演歌には無類の強さを発揮するが、ことPopsにおいてもその声は有効的に機能するのだとヒカルは証明してみせた。その影響でベースラインがシンプルになっていったんだとすれば、その必然もむべなるかな、と納得する事ができるよ。

でも、この議論だとインスト曲でもベースラインがシンプルな事が説明できないんだよなぁ。うーん。

そしてそのダークな歌声をヒカルに授けたお母さま、お誕生日おめでとうございますm(_ _)m