無意識日記々

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昔,HikkiMouthなる酷いダジャレを;

著作物等の改変に最も敏感な機関としてWebで有名なのはディズニーであろう。というか、伏せ字無しで"ディズニー"と読めたり書けたりする機会の方が少ない位に触れる事が"恐れられている"のが現状だ。もう一方の著作物利用料徴収者の代表格であるジャスラックが忌み嫌われ叩かれまくっているのとは対象的だ。どっちが"本当に怖い"のか、皆よくよく判断しているのだろうな。

私はここで特に伏せ字は使わない。別にタブーに挑戦する俺カッコイイな話ではなく、寧ろ逆の、養護気味の話を書こうと思うからだ。阿るというか、コビチャッタ半島ですかね。

米国の著作権法は"ミッキーマウス保護法"と揶揄される。詳しくは知らないが、ウォルトディズニーの著作物がフリーになる直前にいつも保護期間が延長されてきた事からこう呼ばれているんだとか。まぁ、それくらいディズニーは著作権を確保する事に熱心なイメージがあるのだろう。

ミッキーマウス保護法についての批判はスタンダードなものだ。実際に著作物を創作した、即ち文化的創造性生産性を持ち合わせた当人はとうの昔に亡くなっているのに、"他人"がその権利を行使して営利を貪るなど何の創造的なインセンティブにもならない。とっとと権利を解放して全人類の財産として自由に使用できるようにしよう、と。私としてもこの論はとてもよくわかる。これは(広い意味での)報酬請求権の話であり、死人の代わりに報酬受け取るってどういう事なのという話だ。

しかしこれだけでは著作物と著作権について語る場合片手落ちなのだ。もうひとつ、著作物の適切な利用を促す、つまり使用方法利用方法を制限制御する権利もまた著作権なのである。なんか専門用語あった気がしたけど忘れた。まぁ意味は通じているだろう。そして、ここで私が言いたい事も何となく察しがつくだろう。ディズニーは、ウォルトディズニー(或いは彼の周りに居た同様に創造性のある人達)の死後も、著作物の利用方法を制限することによって"ミッキーマウスのイメージとブランド"を強力に守ってきたのだ。死人に口ナシなので本当の所はわからないが、著作者は一般的に、自分の著作物が自らの死後も生き長らえ愛される事を望むものだ。彼らにとって、イメージを崩された二次創作物に囲まれてオリジナルが人々の手に届かなくなるような事態は、ぞっとするようなおぞましい事態だ。考えてもみよう、100年後にSMAP並みの歌唱力を持った歌手グループが宇多田ヒカルのFirst Loveを、彼女の作って歌った楽曲だという事を隠し
て歌って大ヒットしている様子を。みんなオリジナルを知らず、そのテイクがその曲の魅力だと思うのである。やめてほしい。これがぼくはくまだったら全然OKなところがこの歌の偉大な所なのだがまぁその話はいいか。

という訳で、死人の権利を行使して創造性の(相対的に)無い人々が活躍する事は、そんなに悪い事じゃないと思うのだ。彼らのお陰でミッキーマウスのキャラクターに統一性が生まれまるで彼が生きて存在しているかのように演出されている状況は、死後も自分の創作物が護られ続ける事を示唆してくれる、創作者たちにとっては望ましい事態なのである。たぶん。