無意識日記々

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おっかねー話

Webで報酬請求権を行使するといっても、そもそもネットワーク上でのお金の扱い自体が面倒臭い。これはもう本源的な性質なのでどうしようもない。通貨というのは社会の"擬似エネルギー"なので、"保存則"が成立していなければならない。つまり、こちらに100円ありあちらに0円ある時、こちらからあちらに100円移動した場合こちらは0円になっていなくてはならない。これが成立して初めて"等価交換"が成立する。当たり前のように思えるが、情報空間ではこれは些か"不自然"なのである。

パソコンでファイルを移動する時、コピー&ペーストとカット&ペーストの2種類がある。前者は最初にあるファイルは元のまま変わらず、移動先に新しく同じファイルが生まれる。つまり、ファイルが2つに増殖するのだ。後者は元の位置のファイルが消えて移動先に1つファイルができる。ファイル数は増殖しない。通貨というのは、先程述べた通り後者の性質を持つ。

しかし、実際にパソコン上でコピー&ペーストとカット&ペーストを実行してみると、後者のカット&ペーストの方が時間が掛かる事がわかる。元の位置にあったファイルを"わざわざ消す"必要があるからだ。裏を返せば、情報空間上ではファイルの"移動"という概念は一次的でなく、"作られた"ものだという事だ。つまり、情報は"移動"より"転写"の方がより自然な手続きなのだ。こういう空間上で通貨という"擬似保存量"を扱う事自体が"不自然"なのである。

勿論それ位の不自然は幾らかの工夫である程度解決する訳で、現実にはWeb上での決済は最早我々の生活に欠かせないレベルにまで浸透している。とはいえ、本源的なレベルでやや無理をして人工的な手腕を講じている事を自覚していないと、転写容易なコンテンツに課金する事の難しさの意味を見失いかねない。本来、インターネットと伝統的な通貨制度は相容れないものなのだ。そこで、今皆がやっているように何とかWebでお金を扱う方向に行くか、いやそれならばいっそ…という話からまた次回。