無意識日記々

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BI

Webが、というかインターネットが(どっちでもいいよ)生活に不可欠になるにつれ貨幣経済の概念では賄いきれない領域が出来てきた。実は、Webで有名な"ベーシック・インカム"という概念は(或いは"負の所得税"と言ったりもする)、古風でありながらインターネットの出現によって新たな生命を吹き込まれたと言っていい。まだどこも実行した事がないから絵空事に過ぎないのは変わりないけれど。

ベーシックインカム自体についての解説は面倒臭いので読者諸氏各自ぐぐってうただくとして、何故これがインターネット時代に新しい概念として生まれ変わったのか。その点についてだけ触れておく。

貨幣経済の原点は物々交換、即ち等価交換である。お互いが同じだけの価値があると思えるもの同士を交換しあう事で貸し借り後腐れなしよ、という約束事を取り交わすのが基本である。難しい事を言わなくても、何か欲しいものがあった時に値段が高かったら諦める、といった経験がある人は誰しも等価交換の概念を理解しているのだ。その値段に見合うだけの価値があると思えなかったのだから。(勿論現実はもうちょっと複雑で、話もややこしくなるのだがここでは単純化しておこう)

しかし。ふと立ち止まって考えてみると、別にこれ"交換"にこだわる必要はないのである。「なんかたくさん作り過ぎちゃったし置いておいても仕方がないからあげるよ」とタダで貰ったって構わないのだ。いや勿論貨幣経済に毒されている我々はそんな事をされたら心理的に何となく借りが出来たように感じられ"いつかお返ししなくっちゃ"と思うものだしそれで社会がうまく回っていくのなら何の問題もないのだがベーシックインカムの概念はそれを根底から突き崩す。何もしなくてもお金が貰えてしまうのだから。これが可能になる為には先程の「余ったからあげるよ」という"気前のいい人"が相当数存在しなければいけない。それが可能になるまで社会が効率化され成熟してきたからベーシックインカムの考え方が再注目されてきた、というのがひとつ。

もうひとつはWebによって「気前のいいのが当たり前」という風景が広がってきた事がベーシックインカムへの追い風になっているとみるべきなのだ。至極便利なフリーソフト群に山のように普段からお世話に私はなっているが、実質その作者たちは私にソフトを使われたからといって何の被害も被らない。ダウンロードできるように放ってあるだけなのだから。「余っているからあげる」の"余り"が実質無限大なのだ。これがベーシックインカムへの思想的後押しになりつつある。つまり、等価交換という概念自体が適用されなくなりつつあるのである。前回のコピー&ペーストとカット&ペーストの話を思い出そう。我々は貨幣経済に代表されるカット&ペーストの世界からWebによるコピー&ペーストの世界に移りつつある世界に住んでいる。そこでは様々な実りを"どこまでも気前よく"皆で分かち合う、じゃないな、もう全員で堪能してしまえる世界が待っている。

さてそうなると問題になるのは、そういうクリエイターたちのモチベーションだ。如何に出来上がったものは全員で味わえるからといって、最初にそのものが出来上がらないとどうしようもならない。如何にクリエイターを育て、何よりやる気にさせるか。それがこれからは大事になってくる、というかこの十数年で既にそうなっているわな。

ここでまた等価交換の概念を適用してしまうと逆戻りだ。だからこそのベーシックインカムなのだ…という所から先はまぁ専門家の皆さんに任せておくか。特に私は賛成とか反対とかないからね。

長々とこんな話をしたのは他でもない。宇多田ヒカルという人は恐らく最も貨幣経済から自由な人であろう事が伺えるからだ。あれだけ金持ってて2ヶ月で3万円しか使わなかったと言ってる彼女が、これから貨幣経済の枠を飛び越えて活動する可能性はあるか。そんな話からまた次回。