無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

無意識日記

ロンドン五輪で寝不足の日々が続いているが…という書き出しを、折角なのでしてみようか。4年に1度だしね。いや冬季もあるから2年に1度か。

ロンドン五輪で寝不足の日々が続いているが、意外な事に、ヒカルも言うようにロンドンの街中は五輪一色かというとそうでもないらしい。競技が行われている所は盛り上がっているけれど他は、という話である。

まぁこれはよくある事だ。ニュースは特に目立つ所だけを取り上げている。デモが勃発して緊張状態、といってもひとつ角を曲がれば平穏な日常が広がっている。ニュースになっている部分は切り取られた極一部分でしかない。しかしそれが世界中を駆け巡り既知の事実として情報が蓄えられていく。そうやって情報は常に実態と乖離していく。

それを考えた時ツイッターというのは革命的だった。「今何してる?」という問い掛けからもわかる通り日常の何気ない事を呟けというのだ。それまではBlogだろうがBBSだろうが何かを発信する時は意味のある情報を含めなければと力んでいた感じだったが、今や思い付いた事をただメモする感じになった。勿論それも一部の人が実践しているだけで特殊っちゃ特殊なのだが、情報が世界を駆け回るのにその内容が"ニュース"でなくてもよくなったのだ。

これによって、僅かではあるが情報と実態の乖離が少なくなったのではなかろうか。今までは"面白い部分"や"異常な部分"ばかりを目にしてきた所を、ストリーミングスタイルによって、"他人の普通の事"を目にする機会が多くなってゆく。みたまんまで"そういうもんなのか"と素直に解釈してもよくなってきたのである。

ヒカルの場合それがどこまで"ただ呟いて"いるかはわからない。97,8万フォロワーに対してそないに無意味な事言うても、という素直な気持ちもあるだろう。しかし、折角"無意味に"呟ける道具が出来たのだから、別に面白い訳でもない事も呟いてくれればいい。そういう事が後々振り返った時に有り難くなるものなのだ。考古学歴史学の世界では、当時の風習などはありふれたものほどわざわざ書き留められる事をせず資料が残ってくれない為苦労する、という話だが、「他愛もない事を書き留める」という習慣が、後々今という時にしかなかった特殊性を浮き彫りにしてくれるかもしれない。それが何であるかは今の時点ではわからない。兎に角、だから、取り敢えず書き留めておこう。私もそういう風に、毎回書いているのだから。