無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

前編

ギターストラップにギター弾いてる人の画か。フラクタルというかマトリョーシカといおうか、その画の人のストラップも同じ模様だったらいいのに。

フラクタルという概念も気がついてみれば古典になった。画像を作成するだけなら中学生の知識で十分である。ボウル一杯のさくらんぼのひとつひとつにまたボウル一杯のさくらんぼのTattooが彫ってあるようなそんな模様が多いが、現実の世界は、少なくとも極小の世界に向けて進んでいけばフラクタルにも限界がある。見えないというか見れないというか、それ以上の構造は"ない"と言った方がいい。コッホ図形にも限界がある訳だ…


…あれ、しまった。ツイートにつられて書こうとしてた事から外れてしまった。でもいいや、今日のは短いから。

私が最近、「アーティストやエンターテイナーはアートやエンターテイメントをやってろ」みたいな事を言う機会が多いのは、ここの読者なら御存知かな。知らなくてもいいや。そうなんです。

これは、裏を返せば、アーティストやエンターテイナーは他の事に手を出すのは止めて欲しいという意味だ。なまじっか才能とセンスに満ち溢れているもんだからその気になった時の影響力は凄まじい。動き出したらちょっとやそっとでは止められない。まるでモンスターみたいに。

しかし、彼らの動きの殆どは悪い結果を齎す。アートやエンターテイメントの「作品」が何故「作品」として生じるかといえばそこに「独自の世界」を築き上げているからだ。しかし、それは独自であるがゆえに必ずこの「現実の世界」と相容れない。我々の世界にゴムゴムの実なんか絶対にない。あれは漫画やアニメの世界に「収まって」いるから楽しいのだ。「ワンピースは実在する」と白髭のオヤジに言われたからってこの現実の世界で探そうとしないでください。

そして、優れたアーティストであればあるほどその世界が"リアル"であるが故に"紛らわしい"、騙される人が増えるであろう。才能があればあるほど、是非自分の世界に閉じこもってうただきたいものである。

光もきっと、この「現実の世界」に貢献出来るような仕事をしたいんだろうな、とは思う。でもそれは無理な話だ。何故なら5歳の時に我々は正体を知らない「モンスター」に出会ってしまったのだから。貴方はその瞬間、アーティストとしての道を歩み始めてしまった―私はまぁひとりで勝手にそう思っている。サイエンスの世界に足を踏み入れたがっていた痕跡も(大学時代に)あったようだけれど、多分無理だったのだろう。能力的な話ではなく。モンスターの虜である限り、この現実の世界に対しては何かが間違っている。それは、もう自分の世界に閉じ込めてしまうしかない。それがヒトの知恵なのだから。後編に続く。