無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

後編

現実の世界と異なる独自の異世界を描くのが宿命のアーティストの中には、ひょっとしたら偶然にも現実の世界を"描けて"しまうケースも、あるかもしれない。そうなればそれがフラクタルである。全体の中の極一部が全体を描く。しかしこの現実世界はフラクタルではない。どこにその余地があるのか、皆目見当もつかないが、もしそれが出来るのならアーティストも現実の世界に関わりを持っても大丈夫な筈である。最大のモンスターはこの世界そのものなのだから。


化け物じみた存在感は、しかし、一滴の絵筆、一音の瞬きから常に生まれる。その最初の一手が起こらなければ、怪物も姿を現しようがない。それを鑑みると今の光がギターという楽器に触れているのは心強く思う。『(ギターを)今後もっとレコーディングで使いますっ』とか『いつかまたライブでご一緒できたら』とかいやまぁ色々踏み外した発言をしてくれるじゃないの。

確かに、宇多田ヒカルは既にモンスターかもしれない。一声掛ければ数万単位の人間が一斉に動く。ただ、それをもってしてmonstrousであろう、と言う事は出来るけれども実際に怪物を感じれるのはアーティスト本人だけだ。その点に於いては相変わらず孤独である。まぁ、その為の人間活動なんだけど。


ところでAbout MeのクレジットにGuitar : UTADA って書いてあるっけ? 私はいつのまにか「あの音色は光に違いない」と決め付けてしまっていたから記憶があやふやで…。もしこれからギターを練習して巧くなってあのギターの"光らしさ"が消えてしまうとしたら、それは何となく寂しいなって。いやまぁピアノが大丈夫だから大丈夫かな。