無意識日記々

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最後ほーたろーに対抗してみた

照實氏が竹芝の"Utada Museum"についてツイートしてくれている。ただの倉庫のみならず様々な撮影にも使われたとあっては完全に当地は"記念館"であろう。東京とNYを行き来しロンドンに滞在する(って既成事実かっ!)ヒカルにとって唯一"定住地"と呼べる場所だといえる。ファンにとっていちばんの聖地ではないか。流石に巡礼は無理だろうが、もし期間限定でもなんでも公開される事があるなら通い詰める。てかそこに住むよ。管理人が必要ならやりますので是非声をかけてください。

だなんだと言っているのだが、どうにも宇多田ヒカルが"歴史上の偉人"として称えられる様がピンとこない。毎度言っているように、良し悪しは別としてお札の肖像に起用されても何ら不思議はない人物だ。特に日本では音楽家の偉人というのが結構少ない。ヒカルなら文句なしだろう。そのうち教科書にも載るはずだ。22世紀とかだろうけど。

やはり今を生きている生身の人間だからか。なんだかんだで童顔で背もあんまりおっきくなくて威厳とか威圧とか威光とかを感じさせないからか。うーん、ベタだが、私がそういったreputationを殆ど気にかけていないからかもしれない。歴史上の偉業って何なのだろう。エジソンの電灯の発明は世界を変えた。彼の成し遂げた事は偉業であろう。でも、そういった評価は…そういった評価は彼の人となりとは何の関係もない。偉いのは業であって人ではない。偉人とはつまり、実体としての人間から乖離した概念のようなものなのだろう。だから、死んだ人の方が偉人扱いしやすいのだ。確かに、こどもに「えらいねぇ」と誉めているうちはまだこども扱いで、一人前の人間扱いしていない。こどもという概念カテゴリーを相手にして出てくる形容だ。勿論大人相手にも使う場面はあるが、どこか非人的扱いが漂う。人としての宇多田光が好きな私には関係ない話なのだ…と思ったが、このBlogでも光のことを何度か「えらい」と讃えた事があるな。反省。いや、別に構わないか。て
へぺろ。(棒)