無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

true acoustic

「マイクを使っている時点でUnpluggedじゃない」というのはまさにその通りで、一度電圧に変換されている音を聴いている時点で我々は加工された音を聴いている。音量というのは無制限に大きく出来るものではなく、大きくすればするほど元の音の情報は歪まされていく。その意味において、本来小さな音量の音楽を大音量でかける事自体にそもそも無理がある。

クラシックのコンサートでは一切プラグを使わない事も多い生演奏はおろか生歌、しかも独唱で数千人規模で聴かせるのだから恐れ入る。当然その為に特別な発声をしている訳で、彼らは如何に声量を確保するかに特化した歌唱法を採用しているといってよい。

翻ってヒカルの発声はまずマイクロフォンありきのスタイルだ。マイクなしではそもそも成立しないという意味において彼女(に限らずPopsを歌う多くの人)はエレクトリック・マイクロフォンという楽器の使い手、演奏者であるという事も出来る。エレクトリックギタリストも多少はアコースティックギターを弾けるだろうがやはり本領が発揮されるのはエレクトリックギターをもった時だ。ヒカルの場合も、マイクを持って初めてあのスタイルで歌える。いやスタンドマイクの時もありますがね…

そういう意味において、恐らく誰もが夢見るであろう「宇多田ヒカルが目の前で私の為に歌ってくれる」状況というのは、そりゃ感動的だろうけれども、案外ヒカルにとっては不得手な状況かもしれない、とも思う。しかし一方で、マイクで音量が確保できている状況に慣れていると逆に歌が親密なスタイルになっている、という解釈も出来なくもない。声を張り上げる必要がないからだ。ヒカルがマイクレスで歌う場合、どれ位の規模が適正だろうか。100人椅子席か200人スタンディングか…はたまた目の前のソファに座れる程度か。実際に目の前で震わされた空気の振動が歪みなしで直接耳に届く距離…いったいどんな感触なのだろう。死ぬ迄に一度は経験してみたいものである。