無意識日記々

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危惧

他愛ないツイートひとつでもついつい妄想を掻き立てられてしまうもので、昨日の『となりのおじさんが』の一言だけで「おじさんが隣に居る状況ってどんなだ!? 電車の中か?信号待ちか??」などとついつい勘ぐってしまう。この間のツイートと合わせると電車の中だろうなぁと思うものの、そんなに頻繁に電車で移動して大丈夫なのかと余計な心配をしてみたり。いつのまにやらロンドンのNorth Lineに乗ってたりしないかな〜、という風にも考えてみたり。

どうしたってこう頻繁に呟かれるとすわ復活かと色めき立つのは仕方のない所で。ツイートのあるなしに関係なく復帰後の妄想を綴り続けてきた身としては「もうかよ」という戸惑いも否めない。嫌では全然ないのだけど。(そりゃあね)

んで。このまんまTwitterというシステムをインフラにして突き進んで大丈夫かなぁという疑問が最近起こりつつある。先月だかに発表されたTwitter公式からの方針転換表明の余波が徐々に広がりつつある。要は種々のクライアントに公式に準拠しろと迫っている訳なのだがこれが頗る宜しくない。私の愛用しているTweenも変更を余儀無くされているんだがどうにも改悪でしかないのでアップデートに二の足を踏んでいる。二の腕踏みそうになったぞ。(?)

特に時刻表示が相対表示になる事に抵抗がある。「今を呟く」がコンセプトなシステムだからという哲学はわかるんだけども私みたいなユーザーからすれば単にただただ不便である。Twitterの魅力は、"システムで囲おうとしない事"にあった。故に様々なクライアントが登場して百花繚乱だったのだがこうやって公式からの締め付けがキツくなると魅力は半減する。これで公式が使い易いのならいいんだけど、幾つか試したクライアントと比較しても圧倒的にいちばん不便だ。まぁタダで使わせて貰ってるんだからそうそう文句も言えないが。

問題は、Twitterのどの技術が特許を持っているかという事か。もしこれ以上Twitter.comがユーザーの自由度を奪おうというのなら、もっと自由な、今までのTwitterを模したシステムを誰かがスタートさせれば、みんなそっちに移っていくんじゃなかろうか。Twitterのもつ"ゆるさ"を自らキツく締め付け始めるなら未来はないような気がする。どれだけ隆盛を誇ったシステムも、人が居なくなる時はあっという間だというのが今までのWebで見られてきた傾向である。来年3月には今の締め付けが完了するらしいから取り敢えずはそれまでは緩やかに静観するつもりだが、@utadahikaruが来年以降どう振る舞うか、よくよく見極めながら対処していきたい。