無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

のようなが

@utadahikaru: うおおおお!!何気なしに五本指ソックスを履こうとしたら一発でズボッ!って全部の指がきれいに入ったーーー!!こんなの初めて!興奮して目が覚めた。

@utadahikaru: 「眠気がふっとんだ」という意味で「目が覚めた」と書いてしまったんだけど、これは間違った日本語…?「目がさえた」のほうがいいのくま?(∩´(エ)`∩)


…「目が覚める」は「睡眠状態から覚醒状態に移行する」事即ち「起きる」事だから厳密に言うと多分間違い。辞書にも「目が覚める」=「眠りから覚める」とある。上のツイートの「目が覚めた」を縮めて「目覚めた」に変えてみれば違和感は増大するだろう。私も最初「ん?夢オチ?紙芝居オチ??」と訝られるかもしれないと思ったがmentionsを見ると然り。そう感じる人も多かったようだ。

光が「目が覚める」を「眠気がふっとぶ」の意味で使ったのは恐らく、「目の覚めるような」という表現に引っ張られての事だろう。昨日は蹴球男子世界杯予選戦だったのでTVで「目の覚めるようなスルーパス」とか何とか実況されていたのかもしれない。ロンドンに居るんじゃ観てないだろうけど。「目の覚めるような」は「ような」であって実際に眠りから覚める訳ではない。眠っている人も飛び起きる位に鮮やかな、という意味である。あクマでも形容詞句/節、比喩表現である。こちらも縮めて「目覚ましい」とすれば違いがわかり易い。「目覚ましい」と聞いて起きたと思う人は居まい。一つな単語、形容詞として提示されているからだ。

ここらへんの「着脱具合」が誤解の生じる元であって、なかなかに根源的な問題である。「目覚める」や「目覚ましい」といった単独の一語として確立されている場合聞き手は印象を誤解しない。一つの単語には一つのイメージが対応しているからだ。しかしこれに「の」や「が」や「ような」といった間を取り持つ品詞が挟まってくると事情が違ってくる。聞き手は複数の単語各々がもたらす一つ一つのイメージを助詞等を用いて頭の中で再構成するからだ。その過程において「ような」などの語が落とされたりしてしまうと誤解や誤読が生じる。この仕組みには注意する必要がある。

例えば「無意識日記」と「無意識の日記」では意味はそんなに変わらない筈なのに浮かぶイメージは全然違う。後者の場合このblogの名称の事だと一瞬わからないかもしれない。ひとまとまりのひとつの単語としてイメージを確立させておく事はあらゆる場面で重要になってくる。なんかいい教訓になったかもしれない。