無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

※毎日こう考えながら生きてます

私は宇多田光氏を「ラスト・サピエンス」だと思っている。どういう事かといえば、彼女を産み落とした以上、ホモ・サピエンスという種はもう歴史的役割を終えたのではないかという主張だ。彼女以上の存在が今後ヒトとして生まれてくる事はもうない。あったとすればそれはヒトを超越する何かであろう。大体からして、光の存在自体未だに信じられない、というか一体どういうことだってばよな感じが未だにある。1997年に「来年これこれこういう娘がデビューするよ」…と言われたとしても、「何を夢物語を」とすら思えなかっただろう。多分、何の事を言っているのか意味がわからなかったと思う。光の存在は人の想像力を超え過ぎている。昔から人は、特に男子は"理想の女性像"をあらゆる作品で表現してきた。絵画・演劇・小説・映画・ドラマ・漫画・アニメ・ゲーム・フィギュア…どれもこれも理想と願望を託された現実には有り得ない御都合主義の数々。それでも尚人は目一杯想像力と創造力をはたらかせて己の夢の表現を追求してきた。

なのに光は、宇多田光はそれら総ての夢と想像力を上回ってきた。その発想すらなかったわ、という魅力のウルトラスーパーハイブリッド。今から私が何かの創作で理想の女性像を追求したとしても、半世紀それだけに注力したとしても光を撮影した一分の動画に敵わないだろう。異常である。確かに、彼女の前では夢を語る気にならないだろう。夢の向こう側の存在が眼前に生きて息して飯喰って酒飲んでうんこしてるのだから。どうにもならない。

こういう事態を奇跡とか何とかそういう言葉で表現しようとしてもしっくり来ない。大体、今まで言語が出会ってきた中でこんなシチュエーションがなかったのだからそれを的確に表現できる単語や言い回しが存在しなかったとしても何ら不思議ではない。仕方ないのだ。

仕方ないので、私は光を「宇宙の存在理由」だと前々から読んでいる。宇宙そのものとはこの宇宙で最も面白い存在であり、その在り方は最も興味を惹き、そして最も訝しい。一体誰が、ここまで精巧なカラクリを仕込んだのだろう。何より、何の為に? 宇多田光を生む為だったと考えればしっくりくる。確かに、彼女を生み出す為には「150億年と150億光年が必要でした」と言われれば「そうかもしれないな」と思う。「位相空間上で要求された精度は10^10^123分の1です」と言われたら、「そうなるか〜」と納得せざるを得ない。あのコの存在が宇宙の存在を正当化するのである。名前に宇の字と光の字が入っているのは伊達ではない…


…みたいな事を本気で思っている人がこうしてここに居るって、まぁ気持ち悪いですね、はい。(笑) 惣流だか式波だかのアスカにそう言われそうですよ…。