無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

とりあえずモラトリアム貰っとる

という訳でヒカルの活動を3年毎に区切ってみよう。98年デビューだが12月9日と年末近いので表記的には99年スタートとしようか。

1999〜2001年:狂騒期。犬も歩けば宇多田ヒカル、と無意味な諺を捻り出したくなる位に飛ぶ鳥を落とす勢いだった。デビューから全国ツアー、セカンドアルバムからtravelingまでである。

2002〜2004年:王座期。実売数が減り初めていた為余り注目されていないがシーン全体からみればこの頃の方が圧倒的だったかもしれない。02年はトップ10シングル3枚に年間1位アルバム、03年は1枚だけ出したシングルが年間3位。そして04年はアルバムトップ10に2枚を送り込む快挙。流石にこれはもう出来ないかもしれない。

2005〜2007年:滝登り期。YMMWTBAMのシングルを出したりPVを撮影したりしたのだがプロモーションが皆無だった"妙な沈滞期"からBe My Lastを皮きりに"気難しい"曲が続きなんだか宇多田ヒカルも嘗ての勢いがなくなったねぇ、全国ツアーもソールドアウトしなかったし…とか言ってたらFlavor Of LifeとBeautiful Worldの大ヒットで一般ピープルとヲタク両方からの支持を勝ち得るウルトラC。実はこれ位の時期からPassionの評価があがってきた。まぁいちばん大きかったのはぼくはくまだけど。数字のスケール感からしても第二の黄金期。はしゃいでただけな漢字の狂騒期とは一味違い、皆から尊敬される存在になっていく。まだポピュラーではなかったが姐さんババア扱いされ始めたのも確かこの頃だ。

2008〜2010年:多忙期。たぶん最も忙しかった時期。それで露出が増えるなら印象に残るのだが監督とか編集長とかの黒幕役ばかりで本人全然出てきやがらねぇ。ファンですら案外気付いていないかもしれないが、3年連続アルバムを出したのはこの時期だけなのだ。その上二冊本を出してLIVEも2つ監督したのだから忙しかったに決まっている。その分世間から遠ざかった感じも強いんだよね。お茶の間や映画館にお邪魔した時に限ってプロモーションに現れれなかったし。何かそういう意味では"不遇期"ともいえるかな。労力に見合った評価をされていないという意味で。

えぇっと、何だか前回に引き続きただ下地を確認しただけのエントリーになってしまった(汗)。今書いた事なんてここの読者なら百も承知の事ばかり。しかし3年毎に区切る事でこのようにアタマが整理され易くなる、というのはおわかりうただけると思われる。そしてでは次の2011〜2013年はどうなるか…という本題からまた次回。いいのかこんな展開で。