無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

特に目新しい事は書いてないエントリ

最近混乱したエントリーが続いているので頭の整理。

音楽CDが売れなくなった理由として違法ダウンロードを挙げる人がどれ位居るかは知らないが、私は少なくともそれが主たる原因だとは思っていない。勿論影響が全くないとも思っていないが、こういうのはあるかないかではなく全体の中のどれ位の割合を占めるかを、極々大ざっぱにでいいから示すのが肝要だ。

では主たる原因とは何か。つまり、First Loveアルバムが765万枚売れたのに今のヒカルがその十分の一前後しか売れていない理由である。ミスチルだと三分の一位だからヒカルに対する関心度が落ちたというのもあるだろうが、兎に角市場全体のキャパが半減した理由。それは間違いなく携帯電話だわな。

主に2つの面から携帯電話の影響は大きい。一つは金銭面。携帯電話代は高い。それを払う為に音楽CDに回していた資金がごっそり回されたのだ。身も蓋もないが、市場縮小の始まったタイミングがi-modeの登場と大凡同時なのだから因果関係があると疑われても仕方がないだろう。

もう一つは、その、何故他にも支出があるだろうに携帯電話代を捻出する為に音楽CD代が選ばれたかが関係ある。音楽は、90年代コミュニケーションツールだった。あの曲聴いたかこのアーティスト知ってるかという感じで、"昨日観たテレビ番組"と似たような位置を保っていた。歌の話を出す事によって人と繋がれていたのだ。しかし、携帯電話は直接人と人を繋ぐ。別段歌の話なんて出さなくてもよい。何が言いたいかといえば、携帯電話と音楽の役割が似ていたから使われるお金が移動したのだ。そこの間隙を突いたのが着うたで、乗っ取られたコミュニケーションツールの座にこちらからもう一度乗り込んだ。フルコーラスでなくてもニーズがあったのは、つまり歌の役割はこれくらいでしょうと開き直れたからだ。あれがCDから流れてくる音だったら誰が買うだろうか。携帯電話から鳴るから意味があったのだ。つまり、押し切られて乗っ取られた場所を間借りして一儲けできたのが00年代後半だった。しかし、もうあそこまでの隆盛は望めないだ
ろう。

という訳で、今後の展望を考えたくなる。コミュニケーションツールとしての携帯電話は、これから進化し続けはするだろうが無くなる事は考え難い。では音楽はどこに活路を見いだすか。ライブに回帰、というのはわかりやすいが、回帰も何もそれは何万年も続く人間の基本的な催しのひとつなので、ちょっとそれは白旗に近い。演奏会という形態は携帯電話の存在以上に長く生き残るのだから。

そっちはそれでいいのだ。毎日の生活の中で、音楽を買ってくれる人をどう増やすか。そちらの話である。

いい案は、ない。コミュニケーションツールでない在り方、単独での娯楽たりえるかというのは悩ましい。つまり、文字だけの小説、一枚のキャンバスだけの絵画、という風に音だけの音楽。それ単体で価値を主張できる隙間は、マルチメディアのこの時代に、どこか残っているだろうか。

ヒカルが次に曲を出す時、この、「音だけの音楽」という"純粋主義"でくるか、マルチメディアを駆使した総合作品で来るかは興味深い。ほぼ最後の"作品"となっているGBHPV@UTUBEはまさに総合的な作品で、ああいう風に聴覚だけでなく遠慮なく視覚でも訴えかけるスタイルにシフトしていくのか。音だけの音楽。それは言葉を載せる"歌"も含んで言っているのだが、そこに見いだせる未来は果たしてあるのか。彼女の態度が試金石になりそうな気がしてならないのである。