無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

史上最高の作曲家の1人ですわね

モーツァルトの40番と41番を連続して聴いてるとかヤキがまわるにも程がある。例えるなら、LED ZEPPELINの天国への階段と宇多田ヒカルのFirst Loveを聴いているような気恥ずかしさ…今更それかよ……いや別に恥ずかしくないな。かまわんな。

…って気にしなくなってるところが、駄目なのかねぇ。

やはり昨夜はEVAQの試写会だったようだ。月曜夜。そんなもんだろ。この感じなら、ヒカルが今行方不明でツイートが途絶えてるとかではなさそうなのでホッと一安心。別にEVAQの歌を唄っているかどうかなんて結局の所どうでもいい。光が毎日を健やかに過ごしてくれているなら他に何も要らん。でもそれだけだと人生の時間が余ってしまうので私はあれが聴きたいこれが観てみたいと毎日うだうだうただだ書いている。なるほど、生きてるってボーナスだ。こうなりゃ得るもんばっかりになるわな。ある意味究極の虚無主義

にしてもモーツァルトの41番の第4楽章の圧倒的な迫力。たった4音の主題の存在感。万華鏡のように様々なメロディーを千変万化させながら交響曲が展開していく。なぜこのスカトロ野郎はここまで自信満々なのか。筆遣いに全く迷いがない。どこか吹っ切れ切っている。その分、人として大事な栓が一本抜けているように思えてならないのは十中八九貧乏人の僻みだろうな。これだけ分厚く音を重ねておきながらどこにも全く無理を生まずにフィニッシュするってホントに神業だねぇ。

ヒカルが今まで聴いた中でいちばん感動したのはモーツァルトのレクイエムだそうな。いつも自信満々余裕綽々で楽曲を仕上げるこのウンコ野郎(トリビアの泉を昔見た人なら何故さっきからこう呼んでるかはご存知でしょう)が、多分生涯で最も"本気で"取り組んだ楽曲である気がする。あの、彼特有の人をなめきりくさった鼻持ちならない優雅さと悪戯心がそこにはない。ヒカルは、その本気さに共鳴しているのだろうか。それとも普段の、人をコケにするような薄っぺらい完璧さにも憧憬を抱いているのだろうか。

人にはスタイルというものがある。だからヒカルに将来交響曲を書いて欲しい、と強く願うところまではいかない。しかし、例えばPassionのオーケストラバージョンなんぞを聴いていると弦楽器に合うメロディーと世界観も持っているなぁ、と思う。アンプラグドやWild Lifeでは弦楽器隊を従えたし、Be My Lastのテレビ出演ではかなりの大所帯と共演した。歌手としての経験は積んでいる。あとは作曲家として、だな。

例えばいちどゲーム音楽に携わってみるのもいいかもしれない。キングダムハーツに参加したお陰で宇多田の名でこちらの世界にお邪魔しても反発はとても少ないだろう。一度くらいは"サウンドトラックアルバム"というのを手掛けてみて欲しいものである…

…いや、やっぱり健康で居てくれればそれでいいですスイマセン。んじゃあもう一度モーツァルトを聴こうかな…