無意識日記々

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醒めた眼の為さ(似非回文)

光がツイートし、何故か梶さんまで(誤爆する事なく)ツイートを始める始末。カウントダウンだな。高まっている。

興奮の坩堝が現れると途端にそこから距離を置いてみたくなる。自分自身に言い聞かせるべきは「醒めた眼」だ。鮫食べた?いやちゃうわい。

考える。宇多田ヒカルは大好きだがEVAにはピンとこない、という人はやまほど居るだろう。ひょっとしたら圧倒的大多数がそうかもしれない。EVAをテレビで放映しても視聴率10%前半だが、ヒカルが99年にテレビに出た時はその倍を優に越える数字を叩き出した。有名人としての桁が違うのである。

しかし勿論、数など問題ではない。自分の好きな人と好きなものを共有できるか否か。否であったときのうらら寂しさは何ともいえない気分である。

私の場合、ご覧のように光とは趣味の合う事も多いので普段はそういう寂しさがない。ブラックミュージックには普段親しんではいないが、聴いてみればその素晴らしさはわかる。光が好きだというのも尤もだ、くらいには思えるので「なぜ?どうして?」とはならない。

もっと根本的な所で感性が通じ合ってる感覚もある。コップの水の移し替え、あれのどこが面白いの?という意見が多かったが、こちらからすれば「やった事ないのかよ」という気分だった。面白いに決まってるじゃん。あと、お湯に水を注いで冷ますのと水にお湯を注いで温めるのとではテンションの上がり方が違うよね、二つを同じ位の温度にした時にひょっとして味違うんじゃね?とかそんな話も当然する。合間にコップを並べて水の量を段々に入れ箸やスプーンで叩いて音程をとる寄り道も忘れない。そのうち寄り道が本道になったりして。

何の話だよ。兎に角、光の趣味がわかるか否か。EVAのストーリーの事を「出汁。古くなるなんてありえない」みたいな風に絶賛するのは何故なのか。そこに得心がいかないと釈然としない。腑に落ちない。

難しい所だ。人型なんちゃら、まぁロボットでいいよ、ああいうのが動き回って派手に戦う部分も魅力ではあるけれど出汁かというとそうでもない。世界を救うとか人類を補完するだとか壮大な話もまたギミックである。そういった見栄の部分を取り払って、もっと人間臭い部分を抽出して鑑賞しないと光の気分はわからない。いや、わからないと言うのは違うか。もう見えているのに、周りのメクラマシに気が取られて見ている事に気づけない、とでもいおうか。物語はずっとそこにあるのだ。

ひとつだけ抽出しておこう。序においてシンジが父に「EVAに乗れ」と言われ「なんで僕が」と逡巡する場面、光は酷く共感したとみる。歌ってみたら日本一の歌手になってしまった。レコード会社はおろかレコード業界の景況まで左右する存在にいつのまにか収まってしまった。別にそうなろうと思ってた訳じゃないのに。自分の覚悟も定まらないうちから重すぎる役割を担わされて苦悩する姿。ヒカルほど共感できる人も居ないのではないかとすら思わされる。その中で運命を受け入れ、役割を全うしていくシンジの成長する姿に自分を重ね合わせていってるとしたら…

…みたいな風にEVAを観れば、幾らかは光が何故ここまでこの作品にご執心なのかがわかるかもしれません。どないでっしゃろ。


私自身はまぁ、90年代から見ている作品なので、当然ながら明日見に行きまふ。明日土曜の正午以降、このblogはネタバレ全開になる予定だからご注意! まぁ更新自体は月曜日になるかもだけど。