無意識日記々

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邦楽の進む方角にある歌

2年前にGoodbye Happinessを「最後のJ-Popソング」と呼んだのは、こちらの願望も含んでの事だった。というのは、この"J-Pop"という呼称が長続きし過ぎていると感じたからだ。

嘗ては流行歌と呼ばれる日本の歌は、時代々々で様々な呼び方が為されていた。歌謡曲と呼ばれていた事もあったし、演歌と呼ばれていた事もあった。グループサウンズだってフォークだってニューミュージックだってその時代々々の新しい音楽につけられた名であって("ニューミュージック"なんてまさにそのまんま)、ジャンルとして確立されるのはその後である。そのジャンル名を背負って立つ歌手たちがそのまま元気に活動すればジャンルは定着する。演歌だって昔は流行歌だった。そして、北島三郎とかが未だに現役で頑張っているから演歌というジャンルは地道にその地位を確保している。グループサウンズの場合、主要なグループが短期間で全て空中分解してしまったからジャンルとして生き残れなかった。ニューミュージックの旗手たちは、今でも元気に活動している。

ところが"J-Pop"の場合、それは本当に"邦楽"全体の呼び名になった。それだけ多様なミュージシャンが出てきて一括りにできなくなった、と言ってもいいのだが、J-Popという名称の定着した90年代初頭以降、この"ジャンル"はその時々でビッグセールスアーティストを世に送り出し、その看板が入れ替わり立ち代わりする事で隆盛を誇った。松任谷由実の独占から解き放たれたチャートには、ドリカム、ミスチルGLAY、B'z、trf、globe、安室奈美恵MISIA浜崎あゆみときて宇多田ヒカルがラストを飾った。いやもっと一杯居たけどね。この人たち、見事に音楽性がバラバラである。この節操のなさがパワーだといってもいいのだが、こうしてみると"ムーブメント"といえるのは当初のバンドブームとビジュアル系の隆盛くらいで、殆どがぽっと出てきた天才の才能頼りだったように思う。21世紀に入ってからの若者の音楽に元気がなくなったのは、まぁ最後に出てきたヤツの才能が極端過ぎ
たともいえるのだけど。

そこからの10年は、早い話が20世紀デビュー組が頑張り続けるという構図でしかなかった。チャートを席巻したのはお馴染みの連中と、嵐やAKB48といったアイドル勢だった。いや勿論若い人たちも頑張っていたのだが、ミスチルをはじめとする90年代組の目の上のタンコブぶりは際立っていた。

でも、もうそろそろいいんじゃないか。そろそろ"J-Pop"という呼称を過去に葬り去れる新しい動きが出てきていいんじゃないか。邦楽に何か新しい名前をつけてあげたい。


ま、宇多田ヒカルはもうベテランだし大御所だしそういう動きを作り出す方というよりは、受け止めて跳ね返す方になるとは思うが、一方でヒット曲を出し続ける事を期待されている向きとしては、新しい波が来たらそれなりに対応しなければいけないだろう。

一方で、もっと普遍的な問いもある。日本語で歌を歌う意義そのものである。ここ数年の光は"日本寄り"である事を隠さなくなった。ロンドンに居住する事でアメリカという国はどこか相対化されたきらいがあるが、日本という国は相変わらず特別なままである。この国の言葉で歌を唄う事自体には、光は疑念を持ち合わせていないだろう。

しかし、時代が動き、世代が移り変わっていく中で日本語自体も変化するし日本語を取り巻く環境も変化していく。今一度この機会に"日本語の歌"とは何なのか掘り下げていきたい。"桜流し"は、その先鞭なのだと思う。"シングル曲"で日本語タイトルを持ってくるからには、そこにある日本語の重さみたいなもんが違う筈である。この強力なサウンドトラックを持つ楽曲に於いて日本語がどう機能しているか。それが今後にどう繋がっていくか。ゆっくりと見ていきたいと思う。