無意識日記々

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ただの例外として

"ラジカセに代わる新しいガジェット"。それがどんな形で普及し得るか。無論わからないんだけど、要するに生活習慣の中で音楽を買う行動が根付くかどうかの話である。例えば我々が漫画本を買って読むのは、電子書籍版が出ないから仕方なく、でもなんでもなく、昔からそうしてきたし、そうするのが普通だからだ。何も考えずに「そういうもんだ」といつの間にか思っているのである。電子書籍がどうの新古書がどうのレンタルコミックが、漫画喫茶が、というのはそういうサービスが出てきてから初めて言える事なのだ。いや勿論それによって新規需要が掘り起こされるのもあるんだけどね。

音楽については、そういう"買う習慣"がなくなってしまった。毎週毎月「今回は何を買おうかな」みたいな感じが全くなくなってしまった。それを取り戻すチャンスが、新世代タブレットにはあるかもしれない、そういうメディアに於いては、"ビデオクリップ"という形態がいいかもしれない、そういう風な見立てである。

DVDというのは、わざわざプレイヤーにセットしてテレビなりパソコンなりの電源をつけて鑑賞せねばならず、今の時代に於いてはなかなかに面倒である。これでその後2時間画面に釘付け、というならわかるんだけどもたった5分で終了となるとまたプレイヤーの所まで行ってDVDを取り出さねばならない。嗚呼億劫。

という訳で、DVDシングルの発売はそういう行動を厭わないファンの為のアイテムという事になる。これを大ヒットさせようという目論見ではないだろう。フィジカルでの発売があるとないとではプロモーション体制の構築が異なる。それを見越しての判断だろう。


つまり、CDからPC配信へ、そして着うたから着うたフル、次にスマホの時代…と流れてきた"音楽との接し方"の変遷の中で、次の一手への模索が始まっているという事だ。ここで"ラジカセ"に代わる、新しい"音楽とすぐ接する事ができるガジェット"の形態によって、提供する作品の体裁もまた変わるだろうと。


日本の大衆音楽は岐路にあると思う。インターネットの普及で全世界的に音楽業界は不振だと思われてきたが、どうも気が付いてみれば日本だけ取り残されているように思えてならない。例えばアメリカの流行りの音楽を聴いてみると、アメリカンアイドル以来アイドルの比率は増えたとは思うものの、なんだかんだでいい歌手、いい曲がチャートの上位に来ている。媒体云々の前に、音楽自体の魅力がごっそりと落ちているように思われる。宇多田ヒカルは、その中でとても浮いている。日本はおろか欧米でもこんな曲をチャートに送り込めるアーティストは存在しない。そういう人間がどういう流れの上にあった所でただの例外として片付けられる可能性が高いのは少し寂しい所だが、新しい提供方法の模索という面でなら先導役になりえるかもしれない。そういう期待をかけてみるのもたまには悪くないんじゃないかな。