無意識日記々

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音楽性と媒体と販売手法の同調性

新しいガジェットに興味があるのは、それが現れて定着した頃にまたヒカルが大ヒット…いや、特大ヒット曲を作るのではないかと期待するからだ。

ヒカルのデビューした1998年という年はCDという媒体が最も売れた年だった。そのタイミングで最大のCD売上を上げたのがヒカルだ。DVDもちょうどVHSから移行する時期にボヘサマやトラベなどを大ヒットさせた。

Be My Lastが発売された2005年は日本でちょうどiTunes Music Storeが始まった年。未だにiTSは覇権を握れていない。それを考えると2005年はCD売上が激減し、さぁどうするかという過渡期だった。そこにもってきたのがBe My LastやPassionといった実験的な楽曲だった。音楽メディアの移行過渡期に実験的な楽曲。この組み合わせである。

そして翌2006年にはKeep Tryin'がauの新サービスLismoの看板楽曲として220万DLを記録する。時代は「ケータイで音楽を切り取る」段階に入った。宇多田はケータイに狙いを定めたと言っていいかもしれない。そこからちょうど一年後、着うたの隆盛に合わせるかのようにわかりやすい王道楽曲Flavor Of Life -Ballad Version-を投入、First Loveアルバム以来の大ヒットを記録する。

つまり、何が言いたいかといえば、ヒカルはただそれぞれの媒体について特大ヒットを出しているだけではなく、偶然にも媒体の使用が定着した頃を見計らったかのようにわかりやすい楽曲をリリースしている、という事だ。

その論でいえば、携帯電話の主流がスマートフォンに移りつつあり、電子書籍の新しいガジェットがリリースされ始めているような今の時期は移行期・過渡期であり、皆が音楽の聴き方に戸惑っている時期である。こういう時期だからこそ、桜流しのようなPopの欠片もないヘヴィで実験的な曲がリリースされたのだ、という風にもいえる。逆にいえば攻めるなら今しかない。

となれば、このあと何やかんやがあってまた新しい音楽との接し方が定着した頃にヒカルはわかりやすい王道の楽曲を発表するんじゃないかという期待が浮かび上がってくるのだ。この一億人の済む国で特大ヒットを飛ばすには何よりもまずリスナーが「音楽を購入する」という行為に対して抵抗を持っていてはいけない。気軽に買える、いや、気がついたら買っていた位でなくてはいけない。そういえばこの曲買ったんだっけと後から振り返ってもらいましょうぞ。

過渡期・移行期には音楽的な側面が実験的になるだけでなく、その売り方も模索状態に入る。Be My LastはDVDつきシングルと、その半額で買える紙ジャケ仕様の1曲入りシングルの同時発売だった。売る方も工夫が要り、買う方にも迷いの出る時期だったともいえる。あらゆる状況がシンクロしているのだ。

媒体が進化するにつれ、皆が安心して何も考えず目の前のガジェットを利用する、という時期は短くなっていくかもしれない。であれば、次のヒカルの特大ヒットシングルはその極短い時期にリリースされねばならない。モタモタしているとすぐに次世代メディアが進化してきてまた不安定期・端境期・移行期・過渡期になるだろう。そしてその割合は物事が前に進めば進めるほど増える。ヒカルの楽曲もまた、実験的なものがリリースされる割合が増えるかもしれない。とすると桜流しのような壮絶な楽曲が次から次へと…それはそれで嬉しすぎるぜ。特大ヒット曲を出してくれても鼻が高いし、実験曲を出してくれればこちらの耳が喜ぶ。どちらに転んでも充実している。まったく、素晴らしいアーティストのファンになったものだ。