無意識日記々

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大体10年

J-Popの枠組みという話を前々回出した。要は時代の流れと共にジャンルとしての役割を終えつつあるという事だ。90年代デビュー組で今も生き残っている群は最早自前の名前がブランドであってジャンルの名前に"守られる"必要がない。過酷過ぎるというか身も蓋もないというか、それでもこれが現実である。

ヒカルも末期とはいえ90年代デビュー組なのでJ-Popの枠組みで一応語られてきた。しかし立場とすれば守られるより守る方であったともいえる。ここは判断が難しいが、やはりその役目はSCv1をリリースした時点で終えていると解釈していいかもしれない。あそこで一度歴史が切れている。もっと言えば、SCv1を経てFirst Loveがその時代のスタンダードから時代を超えたスタンダードに変貌したのだ。そこから後、二足の草鞋としてそれぞれ2枚ずつのオリジナルアルバムをリリースしてSCv2に至る。ここはどちらかといえば光の私小説的時代と言った方がいいのかもしれないが、それは時代の方が自らの"貌"を用意出来なかった、ともいえる。

2005年以降といえばAKB48の時代である。これは80年代のアイドルブームの現代版だ。日本でのアイドルの歴史は古く且つ強固であって、歌を売って稼ぐ商売を日本で営む人種の中で最も安定した"ジャンル"である。その分その中での入れ替わりは激しいけれど。モーニング娘。をはじめとしたHello Projectの"失敗"も横目に見ながら秋元康は自らの方法論をアップデートしてきた。いやそんな話は方々で語られてるからもういいな。

アイドルの時代がまた来るな、と思わせたのはそのモーニング娘。の更にひとつ前、小室哲哉鈴木亜美をプロデュースした事だ。彼が楽曲より歌手のキャラクター性に重心を移したのを見て、あぁそっちかと思ったものだ。その時点で、小室"サウンド"は時代の音としての役割を終了している。

時代の音としての役割が終了した、という事は、彼の手法がレシピとして人々の中に組み込まれてしまったと言い換えてもいい。こういった"一時代を画した音"はブームの終焉後暫くは時代遅れとして忌避され、その間ある程度年月を耐え忍べば(大体10年)、スタンダードなサウンドスタイルとして認知され、定着する。実際に小室サウンドが定番として認知されたかは微妙な所だ。何より、御大本人が今でも活動していて且つ立ち位置が難しい為、何とも評価が立ちづらい。語るも難しいといった感じ。


Beautiful Worldがリリースされたのは2007年である。鈴木亜美がデビューしたのが1998年だからそこから、つまりヒカルがデビューしてからと同じで9年である。Beautiful Worldに課せられた"役割"は、アニメーション映画の主題歌であると同時に宇多田ヒカルによるPopソングでもある事だった。それは、映画制作側としてEVAというコンテンツを一段上のメジャーシーンに押し上げるイメージ戦略の一翼を担っていたともいえる。それらを総括して出来上がった楽曲である事を踏まえつつ次回に続く。