無意識日記々

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Mr. Mick Smith ?

桜流しで"残念"なのは、いの一番から言い続けているように、ミックスの方向性である。全体的に音量が小さめなのは、ピアニッシモの響きを大切にしたものかと思いきや、音量を上げてみると低音の分離が非常に曖昧である。これは楽器陣だけでなくヴォーカルも同様で、要は音が澱んでいるのだ。私に「チェロのような低音の響き」とまで言わしめたヒカルの魅力ある歌声がやや聴き難くなっている。誠に惜しい。

理由はよくわからない。クレジットを見ても、いつものスタッフいつもの場所だ。手違いとかではなく、こういう音造りをしようとしてこうなったのだろう。

桜流しサウンドの特徴は、低音側には広がりと深みを、高音側には煌めきと繊細さを、という点で一環している。であれば、ドラムの低音、ベースギターの低音、グランドピアノの低音、ストリングスの低音は総てクリアに分離しているのが望ましい。しかし、どの楽器も最低音部で融合してしまっている為見通しのよくない音像になっている。勿論、「悪い音」というのではなく、こちらの"高望みの理想"と乖離がある、というだけなのだが。

その混沌が狙いだった、と解釈してみる。つまり、哲学・思想として低音部の視界をやや遮ったのだと捉えてみるのだが、となるとヒカルの声まで巻き込んでいるのは何故かという事になる。単純にスネアドラムのチューニングがやや中途半端な為ラウドネス調整が上手くいきませんでしたてへぺろ、という事にすればいちばん合点がいくのだがそんな事このレベルであるのんか。素人にはわからんぞ。

こちらの再生機器が貧弱なせい、なのかもしれないがこの曲の主戦場は配信市場である。もとより、高音質の環境で再生される事は想定していない。寧ろ、iphoneipodの付属のイヤフォンで綺麗に再生されないと意味がない、とすらいえる。

ああ、逆にそこを意識し過ぎたのかもしれないな。イヤフォンで聴く場合、どうしてもこの曲自慢の低音部の存在感が薄くなってしまう。そこで、もっとイヤフォンで聴いても低音が響くようにと奮闘した結果やややり過ぎてしまった、というのはあるかもしれない。私は音楽の現場の事はわからないが、デジタルマスタリング後の音は様々な再生環境でテストされるだろうと想定してよいと思う。今回はDVDシングルは急遽の発売決定だった訳でミックスとマスタリングは配信専用といっていい筈だからね。どうだろう。

遠い将来、桜流しはBWPbAMのようにSingle Collection Vol.3に収録されるのだろうか。その時にどんなリマスタリングを施してくるか、今から楽しみである。尤も、その頃にはVol.3も配信のみ発売になっていてCD化は一切なされないかもしれませんが…。