無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

とても

『ひらいたばかりのはながちるのを
 ことしもはやいねとざんねんそうに
 みていたあなたはとてもきれいだった
 もしいまのわたしをみれたならどうおもうでしょう
 あなたなしでいきてるわたしを』

他の子音についても触れておこう。
"ひらいた"の「ひ」、"ばかりの"の「ば」、"はなが"の「は」、"はやいね"の「は」、という風に、冒頭部はハ行の音を第1強勢にもってきている。(余談になるが、バ行の音Bは、正確にはハ行の音Hの濁音ではなく、パ行の音Pの濁音である。だから、ここで"ばかりの"の「ば」を含めるのはやや疑義がないこともない)

"ばかりの"と"はなが"のアタマの音はア段で揃えてあり、"ばかりの"と"ちるのを"の末尾の音はオ段で揃えてある。更にそこから"ことしも"、"はやいねと"と、立て続けに節の末尾をオ段で揃えてくる。見落としがちだが、次の"残念そうに"も末尾がオ段だ。というのも、最後の「うに」はメロディー上字余りで次の小節の音符だからだ。

即ち、「ばかりの」「ちるのを」「ことしも」「はやいねと」「ざんねんそう」という風に末尾が揃っている。

この残像を印象付けておいて、「みていた」「あなたは」と末尾がア段の節を2つ続ける。これがタメである。本命は直後の「とても」だ。これもまた起承転結の一種だろうか。オ段の末尾で攻め立てて、ア段2つで一旦迂回しながら再びオ段の末尾の言葉に戻る。この構成により、「とても」の一言はとても聴き手の印象に残る。更に、既述のように「みていたあなたはとてもきれいだった」はタ行の音で周りを囲む事によって「きれい」を浮き立たせている。同母音の末尾反復によるリズムと子音の配置によって、この「とてもきれい」は、聴き手の心の中でまるでオートフォーカスでピントが合うかのようにくっきりと鮮明な響きを魅せる。巧み過ぎて言葉も出ない。このテクニックにより聴き手は「とてもきれいだったあなた」のイメージを喚起せざるを得なくなるのだ。快い。


2行目、
「ことしもはやいねとざんねんそうに」
この一文では、サ行ザ行の音が出てきている事も、今のうちに心に留めておいた方がいい。こと"し"もはやいのと"ざ"んねん"そ"うに、の3回である。

この、サ行ザ行を使う箇所をヒカルは意図的に選別している。1行目と3行目には出てこない。2行目は今みた通り3回。4行目は「も"し"いまのわた"し"をみれたならどうおもうで"し"ょう」とこれまた3回である。5行目は「あなたな"し"でいきてるわた"し"を」と2回出てくる。

一度、このサ行ザ行を意識してこの桜流しの冒頭を聴いてみるといいだろう。実にリズムよくこの音が配されている事に気がつく筈である。次回へ続く。