無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

引き続き種々の懸念と案を記す回

宇多田ヒカルのファンは時に宇多田ヒカルの音楽のファンですらない訳で、ましてや宇多田ヒカルの好きな音楽について興味を持って貰おうなどシーズン初登板で完全試合を達成する程に難しい。ダル惜しかったらしいな。関智一の方じゃないぞ。

そこでヒカルがどう考えるか、だ。構うものかと曲をガンガン掛けまくる? いや違う。彼女は来てくれた人を如何に喜ばすかに腐心する筈だ…宇多田ヒカル、なら。そのモードなら何の心配も要らない。問題なのは、近影が予想通りイラストな事、つまり、まだまだ人間活動中だという点だ。

これをどうみるか…光にとって宇多田ヒカルは「演じる役割」なのかどうか…いや、何といえばいいか、"本当の自分"のどこらへんに光を当てるか…いいやこの話、つまんなさそう。


話題を変えよう。果たして、選曲はどこまで自由なのか。まずは童謡。ぼくはくまはかかるのか。これは大丈夫な気がする。次に演歌。お母さんの歌を聴きたくならない訳がない。こちらは、微妙だ。ワンコーラスだけ、引用・参照程度に、ならいけるかもしれん。根拠はないが。あとはクラシックか。短い小曲ならいいが、例えばモーツァルトのレクイエムをフルで、となったらどうなるのか。NHKFMに任せてけばよい?ごもっとも。

でも私だったらドヴォルザークの「新世界より」をフルでかけたくなるなぁ1年に1回くらいは。それはいいか。

ヒカルは何事も穏当に済ます方だから(デビュー時の頃はそんな印象なかったんだけどねぇ…)、ラジオ局を困らせるような選曲はしないだろう。だからといって無難ではなく、更に他では聴けないような選曲。確かに楽しみだが、あまりマニアックになりすぎても、とも思う。

より広範なファンにアピールする方法といえば、自分の書いた曲と共通する部分をもつ楽曲を並べて聴いてみるとかかな。Automaticのここの節回しはMary J.Bligeのこの曲のこの部分が一緒、とかね。これを自分でやる奴はまず居ない。やれたら画期的だろう。色々と無駄に傷を負いそうだけれど。

あんまりヒカルと関係ないけれど、個人的には「メチャメチャ聴き馴染みがあるけれどタイトルがわからない曲」特集とか聴いてみたい。先に曲を鳴らして「この曲の名前知ってる?」みたいな。例えば"Rhapsody in Blue"と書かれてもピンと来ないけど、あのメロディーを流したら…ってこういうのはどっかでもうやってるかな。

そもそも、今の光は他人の作る音楽についてどれだけ"詳しい"のかがわからないから、どこまで期待すればいいかわからんのよね。最近流行りの中から選んでくるのか、それともこれで二度と一生聴かないようなマイナーな曲をかけてくるのか、はたまた友達の作った曲(、なんて書くと手作りで素朴な…と考えがちだが勿論彼女の場合友達とは"一流のミュージシャン"を指す)をかけるのか…。毎度々々述べてるように、ヒカルの曲はヒカルの好きな(他人の)曲との相関がわからない。そこらへんをうまくやらないと、興味を惹く音楽番組の構成は、難しい。