無意識日記々

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価格帯による購買層の差異と変化

音楽ソフト市場は日本が世界一に、というニュースに対してどう反応したものか、というリアクション自体を悩むリアクションが目につく。まぁ、仕方ない。

この"世界一"は、金額ベースでの称号だ。つまり単純に、アメリカ市場ではCDが安いのだろう。例えば2009年UtaDAの「This Is The One」は日本盤三千円だったが、US盤を輸入して買えば千円だった。約三倍の値段を、日本ではCDアルバムに対して払っているのである。人口比からしても、金額ベースなら日本が米国を抜いて世界一になる事があっても不思議ではない。

難しいのは、この三倍もの格差をどう見るか、だ。娯楽の多様化によりエンターテインメントの価格は下がる一方で…その中で音楽ソフトは…という話は飽きる程してきたのでもう繰り返さないが、ヒカルは音楽消費者として今の日本市場をどう捉えているのか、そして、今後アーティスト活動に戻ってきた時にその感想をどう反映させるか、には興味のある所だろう。端的にいえば、日本盤フルアルバムの価格を下げるかどうか、だ。

昔に比べれば音楽の制作費はぐっと下がっている筈だ。それだけ高い技術が身近になった。なのに価格が鷹泊、もとい、高止まりしているのは、広告宣伝費が変わらないから、だろう。もっと広くいえば、確立された収益構造の中で制作費の回収というのは最重要課題ではない、という事だ。

まぁヒカルの趣味からすると普段買うCDはアメリカ盤やイギリス盤即ち日本人からみたら輸入盤なんだろうし、そういう問題意識はないかもしれないが、フルアルバムの値段が1000円と3000円ではやっぱり音楽という文化の社会の中での位置付けが全く違ったものになる訳で、次にヒカルがアルバムを出す時は、その事を念頭に置いておかなくてはいけない。

つまり、3000円だと購入するのは相当の音楽ファンか、お金があって欲しいものに対してそんなに価格に拘らない層、という感じになる。昔はそんな感じはなかったが、先程触れたように娯楽全般のコスト意識が変化している今の時代においては感覚的にそちらにシフトするのが自然だろう。

これがフルアルバム1000円となると話はまるで違ってくる。例えば漫画の単行本2冊位の値段になる訳だ。こうなってくると"勝負になる"、つまり、他の娯楽と混ざって音楽ソフトが"悩ましい選択肢"のひとつとなるだろう。当たればデカい、が競争は非常に厳しい。これが3000円だと競争に参加できなくなる感覚に近くなる。まぁ、音楽は音楽で、という雰囲気だ。

この2つの"世界"、ヒカルはどちらに魅力を感じるのか。確かに、3000円のCDを買うなんて今やよほどの音楽ファン、アーティストファンである。(なお、先程から特典云々は考慮していない)。そういった層に向けて作る音楽はより選ばれた、よりエラボレイトされたものとなるだろう。翻って1000円ならば、見える顔ぶれが違ってくる訳で、自ずと音楽もポピュラーなものになるのではないか。要するに高いなら玄人向け、安いなら素人向けの作風に自然と収斂していくんじゃないかという事だ。

ここでいちばん難しいのは、次にインターナショナルなアルバムを作った時、アメリカが1000円の世界で日本が3000円の世界だったらその2つの間で"作風が引き裂かれる"かもしれない点だ。This Is The Oneは、当時のアメリカのメインストリームを狙ったいわば"ドメスティック"な音だったからよかったが、次のアルバムの作風によっては、日米でシングルカット曲がまるで別のものになる、といった事態くらいは現実的かもしれない。それが、もっと鮮明なコントラストを描くのが価格帯による購買層の変化なのである。



まぁ、これまた何度も言ってきているように、そもそも次に"アルバム"という形態でのリリースが可能かどうか、という論点を先に整理しとかなきゃいけないんだけどね。音楽市場は各国の特色をよりクッキリさせながら新時代に突入しようとしている。