無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

あいたいひと

そういえば光は母の日にお母さんに何か贈ったのだろうか。2人の今の距離感や如何に。

普通の母娘よりも結び付きが強いな、と思うのは2人が同じ職業に就き、同じように若くして日本記録(恐らく双方とも今後破られる事はない)を樹立した事だ。身も蓋もないが、そもそも嘗ての日本では親子揃って職業婦人というのも珍しかったのではないか。そう考えると、これは非常に珍しいのかもしれない。

当人達は"家業を継いだ"という風に表現する。自営業だと、そういう事もあるだろう。また、芸事の世界の特殊性から、血縁者が後継者に選ばれる土壌がある場合もある。珍しい、というと芸能の世界にはそぐわないかもしれない。様々な捉え方があろう。

しかしそれでも、やはり普通の(ってだからそれは何なんだってばよ毎回々々)人たちに較べれば絆や影響が強い母娘なんだろうと思う。特に、これといった強制力も行使せずに"後を継いだ"のだから寧ろこれこそ血のなせる業というべきか。何しろ、多忙を極めた娘が「やめたい」と漏らした時母は「じゃあやめれば」と返したのだから。お互いの性格を熟知しているからこそのやりとりなのかもしれないが。

直接歌手としての薫陶を受けていなかったとしても、「直前まで舞台裏で泣き喚いて喧嘩してたのにステージに上がった途端ガラリと変わる」という母のその背中を見続けて得た"感覚"のPreciousnessは計り知れない。一子相伝ではないが(そういやこの四字熟語、北斗の拳以外で殆ど聞いた事ないわ)、確実にここでしか受け継がれていない特別な何かがあるだろう事を、ちらりと想像するだけでちくりちくりとワクワクする。何か後ろめたい隠れた秘奥を覗き見をしているようで。

母からの影響は、もう受け取り終わっている、とみた方がいいだろうか。彼女ももう表舞台に立つ事はないかもしれないし、そうなると、同じ職に就いたという所を除いた、もっとシンプルな母娘関係を今は築けているかも、しれない。例えば母の日にカーネーションを贈ってあげるようなな。あるかな。どうだろう。

娘は半分は分身である。母からみれば。父からもだけど、やはり身から出た二つ身というのは愛着が違うだろう。あたしゃ男なので一生ご縁のない感覚ではあるが。そんな娘の今を、母はどのように見守っているのだろう。

『お母さんに会いたい』―Wild Lifeの"真のラスト曲"は嵐の女神だった。生きててお互いの場所がわかるんだったら今すぐにでも毎週でも毎日でも会いに行けばいいと思うのだが、そういう訳にもいかないんだろうなぁ。


もしかしたら、人間活動の肝はここらへんにあるのかもしれない。毎年母の日にヒカルが母にカーネーションを贈れるようになったら、それは何かの結節、節目となり得るだろう。もう贈っちゃってるかもしんないけどね。

同じ職業に就いた、という点を互いに抜きにして2人が接し合ってるとすれば、それは、何だろう、やっぱり、秘奥的な何かを感じる。この2人にしかわからない事を、この2人はわかりあっている。それで十分なのかもしれない。またメッセやツイートでお母さんについて触れてみて欲しいものだ。