無意識日記々

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「そういうリズムでできている」

復帰時に今までのファンを振り返らせたい、とは恐らく思うだろうが、これからの世代、例えば10代の少年少女にも届く歌を、という願いも出てくるのだろうか。

今の若い世代の音楽に対する感覚は、我々とはまるで違う。最初っからインターネットがあり携帯電話があり、音楽は常にタダで手に入るものだった。無法ダウンロードをしてもいいし、ボカロ曲を漁ってもいい。お金を払う、という行為はあらゆる意味に於いて煩わしい。自然、そもそも有料のものは選択肢に入らない。そういう世代。

これの何が問題なのかといえば、歌が届く届かないと言う以前に、届いたとしてもどうやってそれを知ればいいのかわからない点だ。音楽は、特に家で、個人で聴く音楽は水道の蛇口を捻ったら水が出てくるような感じで接するものだ。そんな風に音を浴びている相手の気持ち…とてもわからない。

「あなたのCDは一枚も持っていないけど私は貴方のファンです。」―もうすっかりお馴染みになった感のある台詞。少し違った意味で、ヒカルはこの台詞を言われ続けてきた。それは、Webで読めるMessage from Hikkiがあまりにも面白く、いつも熱心に読んでしまうんです、という理由からというのが本筋だった。つまり、歌は今まで特にピンと来なかったけどアンタ文章は面白いな、と。裏を返せば、歌のファンならCDを買っていたのである。今は違う。歌が好かれているかどうかとCDを買うかどうかの間の相関が全く弱い。どうすりゃいいのこれ。

しかし、ヒカルも既にその層にきっちりコンテンツを提供している。UTUBEが今日も元気にフル回転しているのだ。CDを買わなくても、代表曲はほぼ総てここで聴けるのだから、皆ここをブックマークするだけで済ませているとみるべきだ。そういう意味では、もう策は講じられていると言っていいのかもしれない。

ならば、ここから、である。今の娯楽市場は時間をどう奪うかの争いである。ソーシャルゲームにみられるように、まずは無課金で人を誘い込んで囲い込んで、時間を独占してからどうやってお金を払ってもらうかをじっくりと、という具合。

…銭の話ばかりしているが、お金の動く場所を作らないと各分野のプロフェッショナルが寄ってこなくてあらゆるファクターのクオリティが下がるのだ。それを忘れてはいけない。


今のUTUBEは、基本的に観てもらいっぱなしで、ソーシャルゲームの課金体制のような「その先」がみられない。いわば作って置きっぱなしで勿体無い、という状態なのだが、私が考えるに、UTUBEの真の威力が発揮されるのはライブコンサートツアーが始まってからだと思う。

誰しも、コンサートに行けば知ってる曲を聴いてみたいと思うものだ。若い世代は、昔のヒカルの曲なんか知らない。今度、宇多田ヒカルという人がやってくるらしい。凄い有名な歌手なんだけど歌は1,2曲しか知らないや、なんだか友達も行くって言ってるし興味はあるけど2時間知らない曲ばっかりだったらどうしよう―こういうときにUTUBEは威力を発揮する。タダでライブでやる曲の予習が出来るのだ。こうなると、コンサートに行こうと思える敷居の高さもグンと低くなる。ただでさえコンサートチケットは高価なのに、予習の為に更にシングルコレクションとか買う余裕はない、という人にはうってつけである。そして、ライブに来てもらえさえすればこっちのものだ。ヒカルの生の歌唱力を思い知るがいい。

という事なので、思ったのだが「宇多田ヒカル」で検索すればUTUBEがいのいちばんに出てくるように調整できないだろうか。幾ら素晴らしいサービスでも、存在を知ってもらわねば話にならない。知れ渡り過ぎてもますますCDが売れなくなる、だなんて今や言ってられないのだ。みんなのハートを掴む前に、まずはみんなの時間を割いてもらわないと。今の時代は、良し悪しは別にしてそういうリズムでできているのだ。