無意識日記々

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黄昏の時代に

2013年上半期いちばん流行った言葉といえば「今でしょ!」になるのかな。ついぞテレビで本家のパフォーマンス(?)を観た事は一度もなかったが、その応用編は至る所で目に耳にした。元を見た事がない人間が食傷気味になってウンザリするだなんてどんだけ流行ったのだろうか。

その元の"ノリ"がわからないから敢えて言ってしまうが、何だかこの一言は、少なくとも今の日本、もしかしたら地球全体の事を言っているのかもしれない、と思うようになった。あらゆる意味で今がいちばんいい時代だった、と後から振り返る事になるかもしれない。

つまり、「いつやるの?」と訊かれて「いつか。もっといい時が必ず来るから。」と言っていられた時代即ち"未来に希望を持てた"時台でもなく。「いつやるの?」と訊かれて「あの時やっておけばよかった」と後悔する日々でもなく。ちょうどその境目の時代なんじゃないかと思うのだ。今って。

私たちはこれから「黄昏の時代」に入る。少なくとも日本という国に限っていえばそれは避けられない。人口がひたすら減り、老人ばかりになる。若人の人生は、ひたすら老人の世話になるだろう。あなたの周りでも、介護職や看護職、福祉関係の職に就く人が随分増えたと思いませんか。まだまだこれが、加速する。

今から出生率が上がってもいけない。今こどもが増えれば、若人は老人の世話に加えてこどもの世話もしなくてはならない。老人が減り始めるまで、たくさんのこどもを育て始めるべきではない。(言うまでもないことだがこれはマクロの視点の話。個々のケースで言うなら、こどもを沢山育てられるんならこんないいことはない。じゃんじゃん育てちゃいましょう)

そんな、黄昏の時代。そこに必要なのは希望でも絶望でもない。そういうもんだと受け入れてぼちぼち生きていけるやんわりとしたこころもち。それがある人がこれからの時代を生きられる。「たしかに、"今"だったんだなぁ…」とすんなり受け入れられるかどうか。"草食系"が増えたというが、たぶん時代に適応した人間が増えているという事なんだろう。老人の世話をするのに必要なのは、ギラギラした野望ではなく、柔らかい物腰と忍耐力だろう。


で、なんだが。Hikaruって今どっちなんだろう。肉持って来い酒が足りねえぞこらー、という感じもあるし、なんだか精進料理みたいなもん食って健康志向かよ、と思う時もある。いやこれはホントに肉食草食の話だな。

ミュージシャンとしての成功に対しては、どうなんだろう。デビュー前は自信満々準備万端で「CDたくさん売りたいっすねぇ(笑)」と冗談半分で言うような娘だった。つまり半分は本気でそんなことを言っていた。ユニバーサルと五億円とも言われる大型契約を結んだのも、日本以外での"成功"を視野に入れての事だろう。今でも売上や再生回数や順位を取り上げて喜ぶ事は多々あれど、それらがトップ・プライオリティーであるようにも、みえない。「栄光なんて欲しくない/普通がいちばんだね」という台詞は、どこまで本音だったのか。今となっては、もうよくわからない。


ただひとつ言えるのは、この黄昏の時代に、Hikaruの歌声は間違いなく我々への癒やしとなるだろう事である。この歌声は、僕らに、他者に対して優しく接しようと思う事を可能にするだけの慈愛に満ちている。そして、その側面は、30歳を超えてますます大きくなっていくだろう。アレサ・フランクリンのようなスケール感でそれを表現するかといわれると、それはわからないが、たぶん、その時になったらわかる事なんだと思う。誰よりも、これからの時代に相応しい歌声。Hikaruはそれを持っている。未来に向かってこれだけは断言しておこう。


Kuma Power Hour with Utada Hikaru Episode 3 まであと一週間…。