無意識日記々

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同性や同世代からの共感を…?

日本で歌を歌う場合、一般的に言う社会人の年齢になってからより、学生時代の年齢の方が歌詞が書きやすい。というのも、学校生活というのは全国一律…とまではいかないまでも、かなり似たり寄ったりになっている。中学や高校は特にその傾向は強い。

この理屈は、歌の世界だけに限らない。例えばアニメや漫画で学校が舞台になっているものが多いが、それは読者の年齢層的に当事者だから、というのと同時に広範な読者層に対してさほど説明も要さずに舞台設定を把握させる事ができるから、というのも大きい。「Fate/Zero」なんて舞台設定が難儀なばっかりにアニメ第一回はわざわざ60分に拡大して、それでもキャラにひたすら喋らせ続けて(歩き回らせて(笑))舞台設定を説明し続けた。学校を舞台にすると、こういうのが省けていきなり本題に入れる。

Hikaruも昔は学生だった。学生としての日常のリアリティを知っていたから同世代の共感を得られる、という側面があった事は確かだ。


それが、今や30歳。そして、本業から離れて、世間一般でいうところの「長期休暇」をとっている。こんな生き方、殆どの"普通な人々"にとっては無縁だろう。この"生活"には、なかなか共感というものが生まれにくい。

つまり、何が言いたいかというと、例えば30歳の女子としての切実な悩みを歌った歌とか、これからあるのだろうか?という事だ。ミュージシャンは、まるで違う生活を送っている。そういう所から、どうやって"普通の人々"との共感を作り出すのか。一見するとそういう側面を強化する為に人間活動に入っているんだ、という解釈になるのだが先ほど触れた通り、こんな"長期休暇"、普通の人々にはとれない。そこらへんで既に感覚が違う。そのギャップを、どう埋めるか。

逆に考える。ギャップがあるなら、埋めなくてもよい。ギャップは、有限であるならば、底へ底へと掘り進めば必ず地続きである。そこまで深く考えて歌詞を書き、より普遍的で根源的や思想に辿り着いたならば、誰もが共感できるレベルを見いだした事に、なるだろう。学校のような共通認識喚起型舞台設定も、必要無い。そういった歌い手に、Hikaruはなるのだろうか。

いや、違いそうだ…という話からまた次回。