無意識日記々

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前口上付きの桜流しが放つ新魅力

でも何だかんだ言ってもやっぱり熊淡弐のハイライトは桜流しであった。未だにこの曲のイントロが流れてきただけでゾクゾクするのだが(この感覚にゾクゾクって擬態語つけたあんた天才)、特にこの熊淡弐ではHikaru自らが曲紹介をしているのが大きい。待ち構え感が違う。自分の声に対する(大半のリスナーにとって想定外な)コンプレックスに関する話から、それを克服しつつある理由のひとつとしてこの最新曲の存在を強調し"Here's Utada Hiraru with Sa-Ku-Ra-Na-Ga-Shi."に雪崩込んでいく日本語英語混じりの3分半、からの「桜流し」。もうこの時点で少し感動的である。そう言われて改めて聴いてみるHikaruの日本語の歌、そして声。何てドラマティック。ここまで絶望的に悲しい歌なのに、歌い手にとっては自己肯定の物語でもあるのだ。歌に新しい意味を付与するMaster of Ceremony. 流石に、常田富士男による朗読を冒頭に差し挟んだ"Blue+"の威力にはかなわないが、往年の浜村純の名調子位の…ってこの喩
え関西限定か。兎も角、このトークを聴いてからの桜流し、という流れには曰わく言い難い独特の魅力がある。ここだけを取り出して聴く事も多い位だ。


それにしてもいい曲である。人間活動中だから仕方ないとはいえ、様々なエンターテイナーたちがファンに対して毎日のように娯楽を提供しているのを横目で眺めながら隣の芝は青いなぁ、、、ツイートのひとつもしてくれないかなぁ、なんて呟くのが日常なのだが、桜流しを聴いた途端に「他にこんな曲作って歌う奴が居るか?いや居ねぇ!!」と力強く感じ、「ここまでのクォリティーを出す為に黙っている時間が必要だというのなら仕方がない。余所では、この満足感は、得られない。」と自分を納得させる事が出来るのだ。たった5分足らずの楽曲なのに「これでまた一年は頑張れる」と思ってしまった。いや現実はラジオが月一で始まるという望外のサプライズに急襲されて、その決意も不必要となり雲散霧消してしまったのだが。

その曲を、肯定的に紹介するUtada Hikaru。そして桜流し。今までのラジオでも、特に他人の番組に出演する時には必ずと言っていいほど自分の曲を紹介してきたHikaruだが、こうやって小さい頃からのエピソードを交えながらの長めの曲紹介というのも珍しい。いや、珍しいとはいえないか。何か、とても特別な感じがした、という所に留めておこう。明日も自分の歌を選ぶかどうか、非常に楽しみである。