無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

熊淡第参乃陣明けて朝

一時間その側面が出ずっぱりだった時でも「垣間見える」だなんて穏当な表現を使うものでしょうかおはようございます。

取り敢えず最初は昨晩の私のツイートを纏める感じで。

いやはや、それにしても「"ス"ネア」特集とは盲点だった。確かに、パーカッションの音色にはこだわりがありそうだが始まって3回目に組む特集のテーマじゃないだろこれ。3回目にして大きくリスナーを振り落としにきたような。言い方はよくないが。これで初めて釣れる人も居るだろうが「割に合わない割合」ででしかないだろうな。

全体として、本当にスネアドラムと呼ばれている楽器の音色とその使い方にこだわった視点での選曲だった。それを叩く"人間"についての希薄さ。これをどう捉えるべきか。

メタルファンな私からすると、全然違う。ドラムサウンドとは、ドラマーが出す音の事だ。基本的な楽器の中でもかなり"人間ぽさ"が出る楽器。SLAYERのドラマーがデイヴ・ロンバードからポール・ボスタフに変わった時に「ドラムセットのメーカーが変わった」という風には思わなかった。スネアの音色に始まり、ヒットするタイミング、各太鼓の音量のバランス、フィルインの癖など、総合的なドラムサウンドの"選択"がまるごと変わる、即ち叩く"人"が変わる、という風な認識だった。

Hikaruの場合はそうではないようだ。あクマで、トラックメイカーとして取り替えの利くサウンドの要素のひとつとして見ており、それを人が叩いて出す音だという意識は色濃くない。敢えていえば、Hikaru自身がドラマー/パーカッショニストとしてスネアサウンドを選ぶ立場に立って音楽に接している、という印象だ。そして、ドラマーという立場に立ちながら実際に太鼓を叩く訳ではなく、プログラミングの一環として鳴らすのだから、誰か人間が叩くという視点はあまり出てこない。そういうものの見方に基づいた選曲だったな、というのが一回聴いての第一印象。

しかし、聴き落としている所も沢山あるだろう。日本語でしゃべってくれたパートですら「え?」となって直後の英語で同じ内容をしゃべってくれたのを聴き直して漸く「あぁ」となった場面もあった位だから私は。まだ全然ちゃんと聴けてない。いいんだ、最初っから録音して何度も聴き返しながら理解を深めていくつもりでいたから。リアルタイムでは、iPadを手にしてタイムラインを眺めているHikaruをイラつかせるツイートを如何に送り付けてやるかに注力したかったんだぜ。という感じで次回に続く。