無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

嬉しい楽しい大好き

んだから音楽評論で「カッコいい」って形容詞は身も蓋もないから、、、って今回も言おうと思ったんだが「どうでしたか。カッコよかったでしょ?」の言い方がやたら自慢げで嬉しそうでSo Cuteだったので思わず「お、おう。」と言ってしまった。弱い。弱すぎる。30過ぎのバツイチにそんなに頻繁に萌えるなと自戒。

それにしても楽しそうだな。ゆっくり落ち着いて喋ろう、というコンセプトで話し始めても結局端々節々に色々食み出してしまう。音楽も、音楽の話をするのも本当に好きなんだろうな。そして、こちらにとってはそれが最高のエンターテイメント。人が嬉しそうに楽しそうにしているのに接していると、言ってる意味がさっぱりわからなくてもそのうちにこちらまで楽しく、嬉しくなってしまう。これである。

幾ら最高の楽曲と最高の歌唱を披露し続けていても、Hikaruにはそういった空気が希薄になる時期が幾度もあった。命懸けで音楽作ってりゃそりゃずっと笑顔という訳にはいかないだろうが、じゃあ出来た自分の曲を聴く事も殆どない、ライブツアーもたまにしかやらないHikaruは、そうやって苦労して創った音楽の果実をいつ味わうんだろう、とずっと不思議に思っていた。締め切りの日に間に合った時の達成感、それだけでやっていけるのだろうかと。

農家は忙しい。「農業では、食えない」と聞いてつい噴き出してしまった人は相当なトレボヘマニアだが、それは置いても、幾ら農家が忙しかろうが、収穫物を味わう日々はきっとある筈だ。汗水垂らして農作物をこしらえて、収穫したものを味わう。本来、どんな仕事もそうである筈である。Hikaruには、そこらへんの印象が薄かった。

Kuma Power Hour のUtada Hikaru は、まるでレストランに来たこどもである。あれが美味しいんだよね、これも食べたい、それもいい、今夜はどれにしようかな。目がキラキラ輝いてるのが手にとるようにわかる。しかも、それを自慢気に話してくれる。「今日は学校でこんなことがあったよ」と晩餐の折り家族に話し掛ける幼子のようじゃないですか。なるほど、何を言っているかわからなくても、それは堪らなく幸せなひとときに違いない。

人間活動中にラジオ番組をもつ、というのは道理でいえばよくわからないかもしれないが、根っからのクリエーターであるHikaruが音楽活動中にラジオ番組を持ったとしても、もしかしたらこの空気は出ないかもしれない。アウトプットの責任感と重圧を感じていない今だからこそ、あれがいいこれがいいと言っていられるのだ。

番組中に「参考にする」と言っていたが、こういうのは本能であろう。レストランでの待ち合わせ時間にも紙ナプキンに絵を描き始めそうな類の人間って居るもんだ。ウニやイクラの絵がいつのまにか仕上がっていたり。だから、クリエイトする事に関してはそこから離れられない。ただ今は、そこに責任も重圧もない。それが何より大きいのである。Kuma Power Hour のリラックス・ムードは、今しか味わえない可能性が大だ。であるならば、これからも度々人間活動期間を設けるのも吝かではないかもしれん。




…とこんだけ書いていて実は今シン・エヴァ主題歌の締め切りと格闘中、なんて事になってたらどうしよう、と余計な事を考える。でももしそうだとしても、いやそうであるならば余計に、今の光は生きる事を楽しんでいるのだから更に喜ばしい。なんて嬉しく楽しいラジオ番組だろうか。来月も楽しみで堪らない。