無意識日記々

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洗ってみた歌ってみた撮ってみた

視覚体験の重視、という話は今年のテーマかという位この日記でも取り上げてきた。それは、"宇多田光"監督というニュー・ペルソナの存在が大きいのだが、はてさてでは今後どんなアプローチを取り得るかというとやっぱり難しい。

Goodbye Happiness PVの一本だけで今後の方向性を推し量るのは無理がある。しかし特筆しておきたいのは、この作品で出演しているのは宇多田ヒカルであり、何を演じているかといえば宇多田ヒカルなのだ。そう、ここには彼女しか映っていない。

ここまで徹底して自分推しなのにナルシシズムの欠片も感じさせないのは大したものだ。監督・主演(しかも登場人物一人…ピザ屋さんと鳩も来るけれど)、その上その主演が演じるのが自らの自伝(のパロディ)である。そして、そんな作風が一部のファンの間(主に私)でこの作品を「最高傑作PV」と讃えられているのだから凄い。いや私の場合あとは「光」のPVがお気に入りだから単に光が沢山映ってたら嬉しいというだけなのかもしれないけれど。

そうなのだ。10年以上かけて確立してきたファンを相手にするには、余計な事をせず宇多田ヒカル本人を映しておくのがいちばんなのだ。しかし、Utada Hikaruとしてこれから世界各地にSay Helloしていく為にはその作風では何のこっちゃわからない。キャリアを積めば積むほど、ますますこの傾向は強くなる。

どうすればいいだろう。構わず「私だ」とどこまでもズカズカ入り込んでいくのもひとつの手だが、光のセンスだと難しいだろう。現実的なのは、ドメスティックとインターナショナルでPVを作り分ける、場合によってはリーダー・トラックも切り換える、という手法だ。いずれも前例がある事なので実現は可能だろうが、インターネットの時代にどれ位有効かはわからない。何より、宇多田光監督はどれに興味があるのかわからない。監督こそ務めなかったが、桜流しPVには光のインプットが大きかった事は察しがつく。こちらは光PVやGBHPVとは対局に、全く個人を特定する気のない心象風景が綴られていた。この振り幅。次がどう来るかも当然わからない。いやたぶんシン・エヴァになるだろうけれど、そこまでみれば、少しは方向性というものが掴めてくるかもしれない。まずは、経緯を見守ろう。