無意識日記々

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きっと「ホープ」もだよね

さっきラジオでサザンの新曲「ピースとハイライト」が掛かって、初めて最後の方まで聴いたのだが、色々と平和に対する思いを綴った挙げ句最後を「愛する事を躊躇わないで」とシメていたところでちょっと笑ってしまった。なんてEverybody finds "love" in the endな。Beautiful WorldもLIVEバージョンは最後を"It's only love."でシメるけれど、最後はやっぱり愛なんだな。

しかし、サザンも思い切ったもんだなぁ。彼らは、目下日本でいちばんの音楽グループである。キャリアの長さとそれに伴う動員力は桁外れだ。あたしゃ小学生の頃"ビートたけし桑田佳祐は天才だなぁ。同じ匂いがする。"と思っていたもんだが、幾ら何でもサザンがこんなにビッグなままその歴史を総括しにかかれるとは思ってもみなかった。たけしが映画監督になるとも思ってなかったけどね。松本人志は映画監督になると思ってたけど。

何の話だっけ。何でもいいや。サザンの新曲は平和への思いをストレートに歌ったもので、「教科書は現代史をやる前に時間切れ」って今年の冬に生徒たちが団結して学校で歌ったら面白い事になるなぁなんて無責任に言い放ちたくなる位具体的で踏み込んだ内容になっている。もういつバンドが終わりを迎えるかわかんない中で、言いたい事言っちゃえと思ったのか何なのか知らないが、それでも曲調のお陰でちゃんとPopsとして成立しているのは凄い。ある意味アメリカのカントリーみたいだし、近年のボンジョヴィにも通じる感じはあるが、日本の大御所としてはやってくれた感がある。


Hikaruの場合、ここまでストレートに"社会"に対して何か言うような歌詞を今後書くだろうか。暫く考え込んでしまった。"他人に用意された夢 それを娯楽というんだね"なんて例を出すまでもなく、Hikaruは現代に対する風刺を言うならくまちゃんを通して言う事が多かった。この間の"Finding"の件でもわかるとおり、Hikaruはくまちゃんに一定度の批評性を託している。いわば腹話術なのだが、誰かを演じる事で初めて見えてくるものもある。この"システム"を歌の世界に組み込むには、一人称だとどうも具合がよくない。かといって三人称だと他人行儀過ぎたり、斜(はす)に構え過ぎたりする。バランスは相変わらず難しい。

平和への願い。祈り。サザンが8月7日を発売日に設定したのは意味があるんだろう。インタビューとか読んでないから知らないけれど。フラゲ日は8月6日だからね。しかしそういう思いは、Hikaruにこそ強い。昨日の【今日は何の日宇多田ヒカル】を手繰ってみれば、彼女の思いの一端が伝わる筈だ。色々言いたい事はあるが、最後に歌に託すんだったらやっぱり愛について歌う事になるんだろうな。結局そればかりを考えるよ。嗚呼マトマラナイゼ。