無意識日記々

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新しい歌

人生No.1の映画?
小津「東京物語」。
以上。

いやバケツって外来語だろうから江戸のかほりはあんまりしないんですが如何。

一方、人生No.1の楽曲は?と訊かれると返答に困る。これを選ぶのは相当に難しい。No.1のアルバムも無理だなぁ。

人生No.1の歌手だったらHikaruでFAでとっても楽なんだが。躊躇わずにそう言い切れるって結構凄い。

でも、別に技術的にNo.1という訳ではなく、恐らく、歌に対する「理解力」がNo.1なのだと思う。どこでどう歌えばいいかを見抜きそれを形にする能力。本人は謙遜するだろうが、歌の精度は兎も角この点に於いてはHikaruが絶賛するMJをも上回ると思う。だからNo.1。

作曲に関しては、まだまだ上には上が居る。J.S.Bachなどは神も悪魔も平伏す次元だし(彼自身は信仰の為の音楽も沢山書いたのかもしれないが)、The Beatlesのような圧倒的な影響力を持った事がない。でもそろそろ同じ土俵に立ちつつある感覚はあるので、歌手という面のみならず、作曲家としても彼女を「人生No.1」と言える日が来るかもしれない。

いつもそこで考える。それは、質なのだろうか、量なのだろうか。普段は全くの寡作、或いは凡作続きで、10年に1曲、いや100年に1曲とんでもない曲を作る作曲家がいいのか、それとも非常に多作でどれも高品質、という人がいいのか。私はどちらが好きなのだろう?

案外、量で勝負するタイプの方が好きみたいだ。うぅむ。

多分、人生は1曲では表現できないと思っているのだろうな。他方、いろんな曲を書いてそのどれもが独立した無関係な物語を描いているという事実もまたむず痒い。あの曲よりこの曲が好き、という事すらなくなるのであれば作曲には意味がなくなる。沢山書いても、それが同じ人の作曲なら、何か続く物語が見いだせると思う。

そこが、難しくも面白い。映画も歌も、作り終わったら作者は何事もなくそれらの登場人物に"死"を与えて、次の新たな物語に取り掛かる。しかし、その作者の人生は一本道だ。時間の軸に沿って。それは大きな大きなたった一つの物語。その歌を聴かせて。無理。ならばたくさんの物語を編み逢わせて貴方の物語を作りましょう。

映画が終わったら映画館を出て元の世界に戻ってくるが、Hikaruの物語をじっと見つめる私は映画館から出てくる気配がない。次の上映が始まるまで、ずっとそこで待っている。ちょこんと。座って待っている。

ある1曲を一生かかって編み上げられたらいつまで経っても完成されず我々のみみには届かない。あれやこれやといろんな物語が語られても、一つ一つは作者の人生ではなく、不完全だ。だからいい。それはつまり1人の人が、沢山の人の歌を聴き沢山の人に歌を聴かせるからだ。違うのだろうか。

世界に1人だけだと考える。人は自らの為だけに歌うだろう。自らに聴かせる為に。その時、どこからどこまでが1曲だろうか。休憩を挟んで、どこまでも、その人が死ぬまで続く1曲である。もし究極の歌があるとすればそれだ。


世界に2人だけだと考える。あの人に聴かせたい。どんな気持ちだろう。あの人も歌を聴かせてくれた。二重螺旋。自分が歌う歌を私と貴方が耳にする。貴方が歌う歌を、貴方と私が耳にする。それは一体何なのだろう。愛、かもしれない。けれどとてもとても不思議なものだ。

世界が3人だと考える…



人は歌うのだ。空に響いて溶け消えていく筈の歌も、次の人が歌い始めたらまた再生される。新しい歌。そういう事か。