無意識日記々

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円環の理

エディットの人、というのは誤解されやすい。そうなったのはテレビの影響も大きいのかな。生放送で反射神経よく面白い事を言う人間がわんさと居て感覚が麻痺している。収録でも、クイズ番組や雛壇スタイル、そしてニュースには特にそれを感じる。時には、テンポを維持する為にその場を取り繕うような発言が出てきてまるで嘘という事もある。バラエティーなら笑い話で済むが、ニュースだとそうもいかない。つくづく、情報提供はテレビに向いていないと思う。

音楽は、その"テンポを保つ"事が至上のジャンルである。如何に詰まらずミス無く演奏するか。その点がどうしても注目されてしまう。生演奏だとある意味当然なのだが、創作活動とは対局にある。尤も、即興演奏の中で新しいものを生み出す創造性というものもあって、話はややこしくなるんですが。

創作とは、一歩立ち止まって「待てよ、ここをこうすれば…」という時に生まれるものなのである。走り抜けるのではない。だから休息とは創作に不可欠な要素だ。「これは休養ではない」とヒカルは強調していたが、人間活動は、アーティスト活動を主軸にものを見るならば、大きな意味での創作の一環であろう。そうやって立ち止まって一歩退いて全体を眺めてみる時間。その時の「手直しの集積」が創作であると言い換えてもいい。

「手直し」とは編集の事である。生放送や即興演奏では一度駆け抜けた時間には二度と戻らないが、編集作業は一度通った時間を幾度となくやり直す事で成立する。トライアル&エラーの連続。即ちその殆どのやり直しの時間は失敗だらけである。これが「失敗は成功の素」の意味であろう。ただの失敗には意味がない。その時間を何度もやり直す事で徐々に何かに近付いていくのである。

残念ながら人生はやり直しが効かない。我々以下の世代には「リセットボタンはない」という表現がしっくり来るかな、その意味で、何度もやり直しを重ねていくうちにその何かは得体の知れないものに膨れ上がっていく。アートとはその時間軸のメビウスの輪なのだ。それを、二度と戻らない時間の流れに戻す事を"大衆化"といい、音楽でいえばそれはPopular Musicである。ヒカルがPopsに拘るのは、その時間の性質を知っているからかもしれない。その視点でテイク5やPassionを聴き直してみると、何か新たな発見があるかも。聴き手もまた、何度もやり直す事で新しい何かに辿り着いていくのだ。