無意識日記々

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活躍休止と創作供給安定システムの縁

3年前以来、「アーティスト活動休止」という類のニュースに妙に敏感になってしまっているので、「最近そういうの増えたねぇ」と呟いてみても本当にそうなのかどうかよくわからない。ミュージシャン受難の時代、という気は確かにするが、それが活動休止に直結しているかというと不明。元々、創作活動なんて"定期的"に出来るものではない。本能的に多作の人たち以外は無理して作っている事も多い。そりゃあたまに休みたくもなる。しかし、それは昔からあった事で今更だ。

時代性を鑑みて受難をうたうのは容易い。特に、アイドルが組織化されて定常的な供給が可能になるシステムが構築されている日本の現状では、シンガー・ソングライターの「心許なさ」は半端ではないだろう。

基本的に、個々のミュージシャンの供給能力には限界がある一方、消費生活には際限がない。ネットの普及はそのまま供給過多を意味するから、毎日流される情報の中にどうやって滑り込んでいくかは頭を悩ませる点である。その役割を担うべきなのがレコード会社で、毎週発売曜日を固定し、本来偶発的な創作活動の結果を、まるで工場で生産するように供給する事を可能にしてきた。その形態の中で、ミュージシャンたちはある程度の縛り、例えば年一枚のペースでアルバムリリースを行うとか、そういった制約下で活動を続けてきた。今はそのシステムを担うのがレコード会社のみならず、ジャニーさんや秋元さんのような、レコード会社や事務所の枠組みを超えたシステムにも依拠するようになった。

そんななかでの宇多田ヒカルの「無期限」契約は破格の待遇であったといえるだろう…本当に無期限だったかどうかはわからないが。それだけの実力があるのだから当然なのだが、この契約形態を考えると、「アーティスト活動休止宣言」は本来不要なのだ。本来はいつアルバム作ってもよかった訳だから。そこはちゃんとしよう、というのはファンに対する誠意に他ならないのだが、ではファンの方がその誠意に応えるだけの忠義みたいなものがあるかというと、わからん。

勿論、ヒカルはそんな忠義みたいな堅苦しいもんを求める事はないだろう。どちらかといえば、この3年で離れる人はどうぞ遠慮なく、くらいに思っているかもしれない。それもちと極端だけど。次はまぁ、だからだいたいまっさらなスタートを切る事だろう。

そうなった時に…という話は長くなるな。続きはまた機会が合いましたら。