無意識日記々

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前夜祭即本祭だったでござるの巻

2014年3月7日に日付が変わるや否や梶さんが纏めてぶっこんできたでござる。獅子瀬戸てんやわんや状態で配信開始された動画を何度も見返して深夜にしこたまにんまりしまくって配信どうもありがとう深夜まで残業お疲れさん、と深々と頭を下げたというのを大前提として敢えて最初に一つ苦言を呈しておきたい。NTT東日本とのタイアップ決定の報に関してだ。

まさかこのタイミングでタイアップがとれるとは思っていなかったし、お互い15周年という節目である事も知らなかった。いつからこのコラボレーションが企画されていたかもわからないし、双方どれ位に気合いが入っているかもわからない。こうやって、ヒカルの歌がまた方々で鳴り響く事もまた純粋に喜ばしい。

しかし、世間的には半ば引退同然の歌手の昔のヒット曲がTVCMとして大量に流れるというのは、宇多田ヒカルというミュージシャンが"懐メロ歌手"として再定義されてしまう危険を孕んでいるのではないか。懸念とはその話である。

確かに、First Loveという楽曲は常日頃からヒカルの代表曲、いやさ、日本の歌のスタンダード・ナンバーとして親しまれてきており、TVでカラオケを歌われる機会も多ければテーマ別ランキングでもその都度なんやかんやで取り上げられていて、案外いつもそこにあるような感覚もあるのだが、TVCMというのはまた別だ。あそこの空間は常に"今"を売り込む場なのだ。そこで15年前の曲を流すのは15年という歴史を敢えて感じさせる仕掛けになっている筈。ならばFirst Loveは懐かしの名曲扱い、宇多田ヒカルはその懐かしの歌を歌った昔の歌手、という風になりはしないか。

今。ヒカルが現役として新曲を出しているならいい。寧ろ、15年の歳月を経て今がありますよといういいアピールになる。しかし今のヒカルはその"今"をTVCM放映と同等以上のスケールでアピールする段階ではない。"今"がなく"昔"しかないのだ。これはちょっと、桜流しに続く新曲のリリースを首をフタバスズキリュウ並に長くして待っている身としてはいただけない。どうにかならんものか。

もしかして現在。その"今"を提示し始める段階への準備が着々と進行しているのだろうか。だったらいいんだけど。