無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

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シンガーソングライターかスターかアイコンかアイドルかという話で「くま」という流れになるのは独特というか何というか。自分でも書いててよくわからないが、この8年間の発言におけるクマ率を考えたらそれでいいような気がしてくるのだから仕方がない。

動物のリアルなクマとの対比でぬいぐるみのくまが成り立っているという話は、つまりぬいぐるみは結局クマではないという事だ。クマコンの時に、誰だっけ、肝臓先生だっけ、が言っていたように、くまとは空っぽの存在だからあれだけの包容力を発揮する。「〜ではない」というのが彼の機能。要するにNOTである。

理系の読者なら御存知かと思うが、あらゆる論理回路はNOTとANDの2つが揃っていれば構成される(他の組合せもあるし、NOTANDで1つとしてみればその1つだけで事足りる)。つまり、論理的な表現―平たく言えば、今あなたが手にしているPCやタブレットや携帯で表現されている事総ては、NOTとANDで伝わっているのだ。

という何割かの読者を振り落とす話題を挿し入れてでも言いたい事というのは、ではNOTの相方のANDは、Hikaruにおいて何にあたるのか。それが未だによくわからない。

NOTは0を1に、1を0にする。色を空にし空を色にする。一方ANDは2つのものがあって、両者が1の時にのみ1になる。色と色が合わさった時にのみ色が続くのだ。

命題とその真偽、という枠組を拡張する気はない。アナロジーを展開するつもりもない。しかし、Hikaruの物語が走り出すにはこのANDの存在が不可欠なのだ。NOTだけでは、確かに孤独ではなくなるが、例のオルタネイト・インフィニット・ループド・マトリョーシカになるところまでしかいかない。ANDがあって初めて世界が広がる。自らの存在を真としようが偽としようが、幾つもの新しい命題は生まれない。

勿論、間違いなくHikaruには既にANDがある。それを、意識できる状態にまで持っていけるかどうかだ。Kuma Changのように、それがそうであると知るキッカケさえあればよい。多分、それはまだそうだというふうには見つかっていない。そこが揃えば、くまが何であったかもまたよくわかるようになるんじゃないかな。


、、、このエントリー、最後まで飛ばさずに読んだ人何人居るんですかね、、、。