無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

太陽まぶしくて

あぁそうか、今日からサッカーのワールドカップが始まるのか。4年に1度のお祭り騒ぎ。皆さん怪我に気をつけて頑張ってください。俺は寝る。

ヒカルはイタリアに嫁いだという事で家族はサッカーに熱心なのだろうか。アッズゥーリがどうのこうのって何の事だかよくわからないが、アヤツはあぁ見えてこういう事にはすぐ周りに感化される方だから気がついたらイタリアチームを応援しているかもしれない。日本語で呟く時はイタリアを応援し、イタリアを応援する時はイタリア語でツイートすればOK。誰かへのリプライにしておけばなおよし。Twitter公式はお願いだから最初に映す画面をwith replierにしといてくれいちいち面倒くさい。まぁTween使ってるからそんなに出番ないのですけどね。

何の話だっけ。今日は久々に妙に晴れてるから若干戸惑っているのだった。梅雨のノリじゃない(笑)。FL15 Bonus Tracksの話を続けたかったのにこうお天道様に燦々と輝かれていてはね。

そうなんよ、あのDemo Tracksには、本当におひさまのかおりがしない。閉ざされた部屋で作られている感じ。time will tellですら、雲の上のalways blue skyってのは自分の想像でしかなくって…と言いたくなる。Never Let Goに出てくる太陽がいちばんリアルだが、それはまるで砂漠に照りつける陽射しの如く、恵みではなく苛みである。

そう考えると、Another Chanceのまぶしい太陽がいちばん太陽らしい太陽か? つまり、英語で"It's fine."と答えるような、日本語で「いいお天気ですね」と返すような、そういう望ましい陽射し…しかしここでも、太陽はシグナルを見逃させる「邪魔」として描かれている。なんだかどこまでもIn My Roomな作品だ。

特にこの傾向は、自由に外出出来ていた筈のこの1stアルバムに顕著だ。後年になると、Passionのように身体全体に陽の光を浴びせるような楽曲も出てくる。あの歌の世界は、架空かもしれないがどこまでも晴れ渡る青空があって初めて成り立つ曲。この頃はパパラッチに苛まれていたと照實さんが言及していたが、そんなホテル暮らしの中での欠落から来る願望がこの…いやそうでもないな。難しい。

兎も角。First Loveアルバムに「いい天気」は似合わない。太陽の光が降り注いでいても、それは忌むべき対象である。スポーツすらインドアで済ませる、泳ぐなら室内プールであって河海湖などもってのほか…なんだったのがそののちDeep RiverULTRA BLUEやShow Me Loveを生み出すんだから人生わからない。結局のところ、今朝の今の私のように、太陽の光に翻弄されているだけなのだろうな。それは確かに、悔しい事なのかもしれない。