無意識日記々

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Bark at a hole,you tell me lie

氷室が25周年で引退するなら、15周年を迎えた我々はあと10年か…と縁起でもない事を言う一方、ヒカルはまだ31歳だ。タモリなんかテレビに初めて出たのが30歳の時だというのだから、才能さえあればまだまだこれからが"デビュー"であっても何ら問題ない。昨年はBlack Sabbathがデビュー43年目にして初の全米No.1を獲得した話もしたし、今後の"時間"はタップリある。

ただ、残り時間を数えるというのは、実はあんまり意味がない。本質まで話を削ぎ落とすと、新曲とライブの"予定があるかないか"の一点のみが本当の論点だ。今までにどれだけのものを積み重ねてきたかは関係ない。我々にとって大事なのは、今予定があるかないかであって、そして今何の予定もない。

何十年、もしかしたら百何年ファンをするとしても、我々の時間の色はその二色しかない。予定のある時間帯と、予定のない時間帯である。結局はそのどちらか。百歳になったらもう声は出ないかもしれないが、作曲は出来る。彼女がその時点で新しい曲を書く情熱と意欲があるのなら、「新曲発表予定」と一言言ってくれればよい。そこからの時間帯は、例えば今、2014年の夏よりよっぽど充実している。年齢なんか関係ない。

人の希望とは「約束」なのだ。その肝要は、守られるか破られるかですらない。するかしないかである。約束をしてくれる、しようとしてみてくれるだけで、それは人の希望になる。そういやドラえもんひみつ道具に「先取り約束機」ってのがあったな…いやこの話は大長編のネタバレになるから自粛した方がいいのかな。それはさておこう。

勿論、今のヒカルはひとつだけ約束をしてくれている。それだけで十分だ。「いつになるかわからないけれど、必ず帰ってくるから」と。この約束さえあれば、ある意味10年待たされても平気ともいえる。先程「予定の有無」が大事だと書いたが、予定がある場合、今度は「時期や期間に言及しているか」が注目点になるな。いつまで、とか、いついつになったら、というのと、いつになるかはわからないけれど、というのと。今我々は後者の約束の中に居る。上手な結婚詐欺みたいなもので、今我々が騙されているかもしれない可能性があり、一生それに気付けないかもしれないが、そりゃあ信じて待ちますよ。それ以外にする事ないし。

しかし、そんな精神力をもった人(普通馬鹿とか阿呆とか呼ばれる)なんて一握り。殆どの人は途中で待ち疲れる。というか日々の生活の中で自然と"そんな事は忘れていく"。でもそれが普通だし、それが健全な姿なのだ。一握りの馬鹿と阿呆が居るのだから、その人たちが待っていれば皆待ってた事になる。堂々と「待ってたよー!」と言って出迎えてあげてください。遠慮は要らぬ。俺が許す。

ただ、私自身が「待ってたよ」とか「おかえり」とか実際に言うかどうかはわからない。明らかにこの世でいちばん待ってる人の部類に入ると思うんだけど、何が何だかそういう気分でもないような。その時になってみないとわからないけれど。

振り返ってみると、「予定のない時間帯」や「次はあるけどいつになるかわからない時間帯」ってこの15年間で結構あって、Works全体の量は申し分ないのに、何だか寡作な人みたいな印象すらもちかねない感じがある。2008年や2009年とか結構異常な量の出力だったんだけど、間の「あてどなく待つ時間」の印象がかなりあって、それで随分損をしているような。そして、先程から繰り返しているように、過去の積み重ねは今の気分と関係しない。予定があるかないか、あるなら決まっているか決まってないか。気分はそれで決まり、過去の印象はその気分の分布と割合によって決まる。そういう意味では、約束下手なHikkiが、ちょっと約束上手になって帰ってきたらと考えるけど、「ないな、ない。それはない。」と過去の印象が教えてくれる。死ぬまでずっとこうな気がする。それでいっか。