無意識日記々

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割れる機器で割れない音聴きたい

邦楽市場の問題点は、結局はハードウェアなんだろうなぁと思わずにはいられない。90年代は、CDラジカセやCD/MDウォークマンといった手軽に音楽を楽しめる機器が出揃っていた。勿論今はもっと便利になってipodiPhoneがあるじゃないかと言われそうだが、Appleの場合ここにPCが絡んでくるから手軽さは半減である。

それ単体で買い物が出来てすぐに曲を再生できるようなシステムが必要だった。CD時代にはCDを買ってきて封を開けてプレイヤーにセットしてプレイボタンを押せば音楽が鳴った。テレビをつけてチャンネルを合わせるのに較べれば手間だったがそれでも簡単なものだった。アナログ時代との売上の差は手軽さの勝利だったともいえる。

00年代に携帯機器がその座を奪って然るべきだった―のだが、致命的だったのは、携帯電話が"スピーカー"というものを軽視した点だ。イヤフォンをいちいちつけるのは結構面倒くさい。パッと手にとってボタンひとつで音楽が流れ出す…のは出来たが、余りにも音がショボい。CDラジカセだって別に音質が優秀な訳ではなかったが、どんな安い商品でもそれなりにちゃんと聴けた。携帯電話には、そもそもまともなスピーカーがついていなかった。これはiphoneスマートフォンでも同様だ。

00年代に"着うた"が一世風靡したのは、あの音がスピーカーから流れてきたからであり、すぐに廃れたのは音が貧弱だったからだろう。40秒なら気にならなくても、着うたフルとなると結構キツい。別に高音質である必要はない。何歌ってるのかわかる程度でよかったんだけどそれすらなかった。もし、着うた以降で携帯機器本体のスピーカーがそれなりの音質だったら配信市場は今と比べモノにならない位大きかったのではないか。

ヒカルはその着うたブームの真ん中にまんまと乗っかれた。ならば、次のヒット曲は、何らかの新しいハードウェアが必要なのではないかと推測するのは無理な事ではない。ハイレゾウォークマンへのプリインストールのように、ハードウェアの売り込みそのものと歩調を合わせていけたらうまくいくかもしれない。何ら具体的なイメージはわかないが、皆音楽を聴かなくなったのではなく、買わなくなっただけなのだ。やっぱり、前から提唱しているように、"セパレート型NintendoDS-phone"が開発されて、DS本体が真っ二つに割れてステレオスピーカーになり配信で購入した歌をそのまま重低音で鳴らせるようになるのがいちばんだと思うが、流石に技術的ハードルが色々と高すぎるわな…。ヒカルはどんなハードウェアがご所望なのだろう。一度訊いてみたいものである。