無意識日記々

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driving 16 years

この日曜日にFM横浜のCaptain Wada's Rock Driveが終わった。録音に失敗した事も1度や2度じゃないので"毎週欠かさず"とは口が裂けても言えないが、第1回放送から最終回まで16年間、ずっと聴いてきた番組だった。和田さんも随分歳をとった。お疲れさん。Podcastは続いてるのでまだまだ元気なもんですが。

16年て、長い。今年は"15周年イヤー"としてFL15関連が展開された。デビューしたのは98年12月だ。上記のRock Driveは98年10月にHelloweenの"Power"のイントロダクションでスタートした。まぁ、なんだ、大体同い年だ。

ひとつの番組を16年続けるというのは並大抵の事ではない。寧ろ16年も続いていたのに何で今更やめるんだと言いたくなる位。昔に較べて長寿番組が増えているとはいえ、16年はやはりそれでも長い。凄いもんだ。

ヒカルの場合はクリエイターである為、16周年を目前にしていてもその16年間ずっと出ずっぱりだった訳ではなく、後ろに引っ込んでいる時間帯の方がずっと長かったから、そこまでの密度だったとはいえない。ただ、その周期に慣れてしまっているから、今という時期の過ごし方も、何となく初めてではないような。

"Twitterとラジオ"というのは様々な局面で語られるテーマだ。Twitterがラジオ的である、という切り口や、一方でTwitterとラジオの連携という切り口や。共通するのは「傍に居る」という点だ。Message from Hikkiが担っていたその役割を、今はTwitterが担っている。

ラジオは大体毎日とか毎週とか、人の生活習慣に根差して番組が存在している。来週から私は久々に"Rock Driveの無い一週間"を過ごす。どんなものかな、という興味がある。

Kuma Power Hourは月一回だった。なのに一年間しか続かず落胆したものだが、その後のピーター・バラカン氏のいざこざをみるに、あのタイミングでやめてよかったんだなと思い直した。もしかしたら、ヒカルもバラカンさんの口調から、何かを感じとっていたのかもしれない。いつか2人がまた繋がり合う事を期待したい。

メッセが5ヶ月とか8ヶ月途切れる事もあった。だから"常にそばに居た"というのは言い過ぎかもしれない。私も、数ヶ月ネットから雲隠れする事が多くそれが不評だったので今のスタイルに切り替えた。それまでは、たまに登場して長文を投下してまた居なくなるみたいな感じだった。どっちがよかったのかといえば今の方がいいだろう。やっぱり総量が違うし、もしかしたら誰かの毎日の生活習慣の一部になっているかもしれない。そりゃいいな。

ヒカルの出力が不安定なので、ココがコンスタントというか安定している事には意味がある、と思っている。代わりには全くなれないが、今日もツイートがなかったという時の暇潰しくらいにはなっているかもしれない。謙遜ととるか増長ととるかは微妙なところだが、16年続いて終わるんだなぁというのを目の当たりにして、意外に感慨に浸っていない自分に対して、どういうつもりなのか訊いてみたかっただけだ。

改変期だからまた新しい番組が始まってその殆どが瞬く間に消えていく。それを横目で見ながら…いや、一瞥もくれずに、自分のする事をしておく。それがただ空いてる隙間を埋めるだけの作業だとしても。


さて次回はまたBLUEの話に戻るわね。自分でもどこまで書いたかよく把握してないや(笑)。