無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

かがみながらみずたまりのまねを

Keep Tryin'の主人公は一言で言えばツンデレである。

『どうでもいいって顔しながら
 ずっとずっと祈っていた』
『ほんとは誰よりハングリー』
『クールなポーズ決めながら
 実を言うと戦ってた』

或いはクールデレと呼ぶべきか。

この主人公が、

『気持ちの乱れ隠しても
 毎朝弱気めな姿映す鏡
 退治したいよ』

と願うのがこの歌の要点である。

ここで出てくる小道具が"鏡"である事に注目したい。

ぼくはくまに出てくる水たまりに象徴されるように、鏡とは他者との関係性から生まれる自己である。それが未確立なくまちゃんは無邪気にぼんじゅーると挨拶をする。自己は他者からみれば他者であるという事を理解しているかどうか。鏡を理解するかしないかは、世界の中での自己の相対化が出来るか否かなのだ。

Hotel Lobbyにおいて、主人公のコールガールに出会えるのはホテルのロビーの鏡の中だ、という描写がある。ここでは、社会的役割としての自己は鏡の中にしか居ない事を示唆している。鏡に映る私を見て、あなたが用があるのはそちらでしょ、という具合。

Hotel Lobbyにおいて頻りに「money」が連呼されるのと、Keep Tryin'において『タイムイズマネー』『愛情よりmoney』『お値段』といった言葉が並ぶのとは無縁ではない。

貨幣の定義に"匿名性"というものがある。お札やコインには名前書けないよねという話だが、その匿名性を通じて他者との関係性を構築するのがmoneyなのだ。要は見知らぬ人ともお金があれば色々やりとり出来ますよという事なのだが、それが行き過ぎると自己が経済という社会性に吸収される危険性を孕む。お金で自分見失う人居るよね〜とな。

鏡は、その社会的存在としての自己の投影する為にHotel Lobbyでは登場する。一方Keep Tryin'ではツンデレ/クールデレな主人公の"素顔"の方を映す装置として登場する。ここは対になっている。ぼくはくま絵本の水たまり、Hotel Lobbyのmirrors、Keep Tryin'の鏡、いずれも錯綜する自己という概念を整理する為に導入されている。この、自己との対話という枠組みからどう"応援歌のパロディ"が生まれてくるかについてはまた次回。