無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

「頑張る」がゲシュタルト崩壊する話。

Keep Tryin'は、要は「自分で頑張れ」というメッセージを伝える応援歌だ。「頑張って」よりまだ「俺も頑張るからお前も頑張れよ」の方が近いが、それより更に個人主義的だ。

歌の前半は完全に独り言である。ツンデレな私。疲れた。でも頑張るよ、という個人的な宣言。こういうのは応援歌とは言わない。

『とっても気にしぃなあなたは少し休みなさい』

ここで、結構唐突に"あなた"が出てくる。これは誰か、主人公の思い人かなと色めき立つが、いちばんしっくり来るのは自分自身を鏡で見て『あんたちょっと休んだ方がいいんじゃない?』と話し掛けてるあの感じ。ここまで来てもまだ独り言かと。


やっと、『タイムイズマネー』『愛情よりmoney』に至って、あぁこれは他者の言葉かなというのが出てくるが、それに対して主人公が言うのは『夢がないなあ』というあからさまなクレームである。せっかく他人が出てきてくれたというのにこの扱い。本当にこの歌は誰かを応援する気があるのだろうか。


最後を迎える前に、『どんな時でも価値が変わらないのはただあなた』という一節が出てくる。ここからお父さんお母さんお兄ちゃん車掌さんお嫁さんをにエールを送る歌になる。この最後のパートが、Hikkiなりの応援歌のかたちなのだろう、というのが正統的な解釈であり、それは何も間違ってはいない。話はそれで完結している。問題ない。

しかし、他人に対して「あなたの価値は変わらない」って言うかね? 誰か言った事がある? やった事や役割に対して価値の有無を問う事は日常茶飯事だが、"あなた"そのものを差して価値があるだのないだの変わるだの変わらないだの言うのはちょっと不自然だ。

となると、この"あなた"もまた、自分自身の事を指す、という解釈がいちばん腑に落ちる。いや勿論、聴き手としては、歌っているヒカルがというよりは、聴き手である自分の事だと解釈していい。そういう意味では、この歌はただ聴いているより自分で歌ってみる方がいいのかもしれない。


だから、お父さんもお母さんもお兄ちゃんも車掌さんもお嫁さんも、みんなこの歌を歌えと言っていると解釈してみると見通しがいい。「お父さん頑張れ」というより「私はお父さんとして頑張りますと自分で言え」というメッセージを送る歌だというべきか。

歌の前段で散々独り言を繰り返していたのは、つまり、ひとりで頑張る頑張り方の指南だと思えばよい。それを参考にして自分で頑張れというのがKeep Tryin'だ。


なぜこんなひとひねりある解釈をわざわざしているかといえば、ヒカル自身がこの歌を(当時)巷間に溢れていた応援歌のパロディだとインタビューで言い切っていたからだ。あと、こちらはいちリスナーとして、のちにテイク5を書いた人と同じ人が書いた歌だという事と整合性をとりたかった、というのもある。そして、このようにみれば、虹色バスの歌詞もわかりやすくなりますよという話からまた次回。明日私の気が変わっていなければ、だけどね〜。